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国際協力の現場から

国際協力の現場から2018/05/01

JCBL:クラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)採択から10年


クラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)採択から10年

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シリアでは、子どもたちの遊び場、家の近所、工場、お店、大通りや路地、家や庭などにクラスター爆弾が落とされています

クラスター爆弾の子爆弾(撮影:清水俊弘)

クラスター爆弾の子爆弾(撮影:清水俊弘)

 クラスター爆弾禁止条約(通称オスロ条約)は、2008年5月30日に採択されました。もうすぐ採択から10年目を迎えます。

「オスロ条約は、世界への贈り物だ。これによって本当に救われるのは、クラスター爆弾で手足や命を奪われずに済む多くの一般市民だ。」5月30日のオスロ条約採択直後の記者会見で、CMC(クラスター兵器連合)共同代表のスティーブ・グース氏は条約成立の喜びをこう表現しました。

 CMCは、クラスター爆弾の廃絶および被害の根絶を目指すNGOの国際的連合体です。現在はICBLと統合し、ICBL/CMCとして活動しています。オスロ条約の成立に向けたオスロプロセスにおいてノルウェー政府などと連携して中心的な役割を果たしたと評価され、2009年5月1日にはアイルランドのティペラリー国際平和賞を受賞しました。JCBLはCMC成立当初からのメンバーとして一緒に活動して参りました。

 JCBLは1999年3月から6月にかけてNATO軍が大量にクラスター爆弾をコソヴォで使用したことが判明して以来、「第二の地雷」と呼ばれるクラスター爆弾の問題にも取り組んできました。特に2001年に米軍がアフガニスタン空爆で大量のクラスター爆弾を使用したことが明らかになって以降は、ニュースレターでもクラスター爆弾の特集を組み、写真展やシンポジウムを開催して世論喚起に努めてきました。オスロプロセスが佳境に入ってからはクラスター爆弾の被害者であるセルビアのカペタノビッチ氏を招へいし、国会やメディア対策をさらに強化していきました。

2008年6月発行のJCBLニュースレター編集後記

2008年6月発行のJCBLニュースレター編集後記

 初めて日本がクラスター爆弾を製造・保有している実態が明らかになったのは、2003 年のことでした。日本政府はオスロプロセスの全会議に代表団を送り参加しましたが、オスロ条約に反対するアメリカとの同盟関係から、クラスター爆弾を禁止するという積極的な姿勢は示しませんでした。条約交渉の山場を迎えたダブリン会議に赴いていたJCBL理事の清水と目加田は、当時日本の加盟は絶望的だと考えていたそうです。ところが、日本政府はダブリンにおいて条約が可決された前日、当時の福田康夫首相の政治判断で条約加盟を決定しました。

 世界の半数以上の国が条約に加盟し、「クラスター爆弾は使用してはいけない」との認識が広まる一方で、未だにクラスター爆弾が使用されています。

 2011年に内戦が始まったシリアでは、2012年7月にシリア政府軍によるシリア国内でのクラスター爆弾使用が始まりました。それ以降、クラスター爆弾は落とされ続け、2015年9月からはロシアとシリアの合同軍による使用が続いています。2015年までに 2,200 人のクラスター爆弾による死傷者が確認されました。そしてつい最近、2018年にも、シリア東グータ地区でクラスター爆弾による犠牲者が新たに発生したことをメディアが伝えています。(ニュース原文(英文)

 また、イエメンでも過去2年間にサウジアラビア主導の連合軍によって落とされたクラスター爆弾によって市民が犠牲になっています。イエメンではブラジル製のクラスター爆弾が使用され続けています。

 条約ができて多くの成果があった一方で、まだ使用が続いているクラスター爆弾の問題は、地球規模の深刻なものです。条約で決められた内容が確実に実施されているかどうか、市民の目線で常にチェックし、確実な実施を訴えていく必要があります。今後もJCBLはクラスター爆弾禁止に向けて活動をしてまいります。クラスター爆弾への投融資禁止キャンペーンも続けてまいりますので、今後もぜひご協力をお願いいたします。(幸坂説子)