国際協力の現場から
国際協力の現場から2017/10/25ツイート
JCBL:ミャンマーにおける地雷犠牲者支援
JCBLはこれまでカンボジアでの地雷犠牲者支援や、アジア諸国での地雷回避教育支援を行ってきました。そして今年度からは新たにミャンマーの地雷犠牲者への義足支援活動をはじめています。
ミャンマーではかつて軍政と民族グループとの戦闘で地雷が使われ、特にタイとの国境沿いには多くの地雷が埋められています。また、今年も、ロヒンギャとの戦闘で、ミャンマー軍がバングラデシュとの国境沿いに地雷を新たに埋設しているという報道がありました。地雷は一度埋設されると、完全に除去されるまで脅威を持ち続けます。そのため、現在もなお地雷の被害に遭う人が後を絶ちません。
ミャンマーにおける地雷犠牲者(死者・負傷者)は、政府報告によれば1999年から2014年までの間で3,745人を数えます。しかし、NGOによれば、この期間に足の切断手術をしたケースが12,000件あるとされています。そして、このうち3分の2は、地雷が原因です。この数字のギャップを見ても、ミャンマーにおける潜在的な被害者の数は政府報告のそれを大きく上回ることが予測されています。現在のミャンマーにおける地雷犠牲者は4万人を超えるとも推定されています。
JCBL理事の下田が、3月24日から28日までミャンマーを訪れました。目的は、ミャンマーでの地雷犠牲者への支援の可能性を探ることです。向かったのは首都ヤンゴンから北東に位置するカヤー州です。北部タイのメーホーンソンと接しており、内陸部の山岳地帯です。ヤンゴンの空港から出発して車で8時間。平坦でまっすぐな道が終わると、いよいよカヤー州の入り口です。そこからはイロハ坂のような山道を延々と4時間かけてようやく州都ロイコーに到着です。
訪問したのは2つの団体です。その一つ、KSWDCは2006年からカヤー州で活動する地雷分野のNGOとしては草分け的存在です。2006年以前はタイとの国境沿いで活動しており、アクセスしづらい地域に入り込んで、地雷犠牲者への支援を行ってきました。昨年まで続けていた地雷犠牲者支援(義足支援)のドナーが撤退し、今年は支援のめどが立たなくなっていました。山岳地帯でバイクや車でもアクセスできない地域に住む地雷犠牲者を対象に、義足支援チームが1カ月かけて現地に住み込んで、測定、型どり、義足の製作、フィッティングまでの一連の作業を泊まり込みで行ないます。
もう一つの団体KIHWOは、州都ロイコーに義足の製作工房とリハビリテーションセンターを持っています。ここも2年前にドナーからの援助打ち切りを受けて、閉鎖に追い込まれていました。
この工房の代表をしていたUjoewinさんは「工房も整備されていて、道具も機械もある。義足の材料費とほんのわずかな技師の人件費さえ賄えれば、今すぐにだって再開できるんだ」と言いました。
Ujoewinさん自身も地雷の犠牲者で、27歳の時にカヤー州の山奥で被害に遭いました。4回手術しましたが、最後には切断することになりました。国内の情勢が悪くなりタイに逃れ、そこで義足の技術を覚えました。その後カヤー州に戻り、地雷犠牲者への義足支援を始めました。KIHWOの技師はみんな義足生活者です。犠牲者の気持ちになって義足を作り、製作後もサポートできます。「支援が受けられれば新たな義足製作だけでなく、多くの義足生活者の声に耳を傾けられるようになります。ですから、どうぞ応援をお願いします」と言いました。
2010年の総選挙、2015年の政権交代により、国内の民主化と解放が進んでいるかに見えるミャンマー。それは援助動向にも反映されています。2011年から多くの援助機関がこぞって国内に進出し、さながら援助競争の様相を呈しています。しかし、実態はどうでしょうか。新規参入してきた海外の団体が入れるのは、行政の認めるごく一部にとどまっています。本当に支援が必要な場所に援助は届いていません。また、援助ありきで地域に入っていくことで、元々あった地縁関係や人間関係を壊す活動も散見されます。反面、ローカルNGOは、長年の地道な活動を通じて地域社会との信頼関係を培ってきました。そうした実態を見るにつけ、ローカルNGOを抜きにした支援などあり得ないという思いが強くなります。
こうした現状を受け、JCBLで議論・検討した結果、今年度からこの2団体と一緒に義足支援を行うことが決まりました。義足支援はすぐには終われない活動です。一人でも多くの地雷犠牲者が日常生活を取り戻すための第一歩をその足で踏み出せるよう、一歩一歩着実に進めていきたいと思っています。
JCBLはまた来月に現地を訪れ、支援の実態を調査する予定です。(幸坂説子)