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国際協力の現場から

国際協力の現場から2015/12/24

FoE:311からまもなく5年 福島の日常


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弁天山より望む福島市

311からまもなく5年 福島の日常

 12月9~11日、福島県福島市を訪問し、FoE Japanでいつもお世話になっているみなさんのお話を伺ってきました。
 1日目は、福島市に住み、猪苗代や千葉県・南房総での保養「福島ぽかぽかプロジェクト」に参加しているお母さんたち。
「原発事故の当時は、テレビなどでも大丈夫、と繰りかえされていたため、あまり危機感を持たなかった。でも、知人との会話などで、5月ごろから、大変なことなのかなと。でも、家族みんなで避難することは難しく、とどまることに決めました。保養に参加したり、野菜などは顔の見える方から取り寄せて買うなど食べ物の産地には気をつけたりしています。子どもたちには、本当は、福島を離れて暮らしてもらいたいと思っていますし、今からでも避難することは考えています」
「子どもたちには、自分で情報を得て、自分で判断できるようになってもらいたいです。」別のお母さんは言います。

小池さんの敷地の「除染」で集められた落ち葉など

小池さんの敷地の「除染」で集められた落ち葉など

 2日目はまず、飯舘村に近い福島の東側、大波地区へ。25年前に移り住んで有機農業を続けてきた小池光一さん・順子さん夫妻は、3月に一時的に猪苗代に避難しましたが、飼っていた猫や犬、鶏の世話のために避難はしませんでした。1989年の福島第二原発の3号機事故(再循環ポンプ破断)で認識し、勉強会や情報収集をしてきたといいます。「移り住んだときに思い描いていた自給自足の暮らしが、今はできなくなりました。」

 午後は福島市の東側、渡利地区へ。市内が見渡せる弁天山に登れば、緑のシートに覆われた除染土が点在しているのが見えます。
「暮らしているとこれが普通になってしまって、なんとも思わなくなっていました。」と菅野吉広さん。「今でもまだ、渡利などにはホットスポットは多数ある。放射線量の低いところの除染がいま始まっているが、矛盾と思うことも多々ある。」と言います。
 道路や公共施設などの除染土は市内にすでに14箇所あり、フレコンバッグがうずたかく積み上げられています。

渡利の住宅街 福島市内の仮置き場

 3日目は、伊達市の仮設住宅へ。おもに飯舘村からの避難者が今も暮らしています。壁も床も薄く、狭い2Kにエアコンが2台の仮設住宅。

伊達市の仮設住宅

伊達市の仮設住宅

 飯舘村で酪農を営んでいた長谷川健一さんは、「飯舘村の村民はADRにより損害賠償を訴えたが認められていない。
 2017年3月には飯舘村の避難指示も解除される予定だ。このままでは、被害者はただ切り捨てられてしまう。声をあげ続けなければ。」と語ります。

 福島第一原発事故からまもなく5年。原発事故は、いまだ続いています。(FoE Japan 吉田明子)