平和人権/アジア
平和人権/アジア2025/09/01ツイート
大阪で考える東アジアの歴史と平和
今年は戦後80年であると同時に、日韓の国交正常化60年という節目の年でもあります。日韓は今や、1200万人を超す人びとが往来し(2024年)、互いの言葉を学んだり、音楽や文学を楽しんだりと、親しい隣人としての付き合いが深まっています。一方で、歴史問題などなかなか触れにくいこと・関心が向きにくいことは、解決しないままにくすぶり続けてしまっています。また日韓双方で外国人排斥の問題が顕著になるなど、マイノリティ理解といった新たな共通の課題も浮上しています。
韓国の市民団体「共同育児と共同体教育」など3団体はこの夏、日本と韓国の歴史、特に在日コリアンの歴史を知り、また直接の交流を通じて平和をともに考える機会を持ちたいと、大阪での平和交流キャンプを実施しました。アーユスが参加するKOREAこどもキャンペーンは、コリアNGOセンターとの協力のもと、この「日ㆍ韓ㆍ在日コリアン青少年平和ワークショップ」をともにすることとなりました。
炎暑の8月上旬、韓国から8名の中学生が来日し、大阪市生野区のコリアタウンを拠点に、前半は現地訪問、後半は交流ワークショップを楽しみました。

まず、コリアタウンを歩き、またコリアNGOセンターの郭辰雄さんのお話をうかがい、日本が朝鮮半島を植民地にしていた時代に日本に移住したコリアンの方々の多様な背景、またその生活を知る時間を持ちました。郭さんが個人的なエピソードを交えて語られたことで、より実感を持って「在日」の方々のことを学ぶことができた、との感想が子どもたちからありました。
また、日本で済州4.3*について学習を進めている若手中心のグループ「済州4.3を考える会―大阪」のメンバーの学生たちが活動紹介を行ないました。済州島のこと、そして朝鮮半島と日本の歴史について学びを重ねてきたという発表に、その場に参加していた日本人学生のボランティアだけでなく韓国人学生からも、「済州のことについて、そこまで詳しく知らなかった」と感想や質問が寄せられ、意見交換に中学生も積極的に参加していました。
別の日には、在日の方々が多く利用するデイサービス「さらんばん」の訪問もあり、まさに様々な世代との交流がありました。
翌日は、天王寺にある統国寺を訪問。ここには、済州4.3で犠牲になった方々を追悼する慰霊碑が建立されており、大阪と済州の往来が盛んであった理由、いまも大阪に多くの在日コリアンが集住している背景をあらためて確認できる場でもあります。
この日は、あべのハルカス展望台にのぼって大阪を一望し、また地域の地図を広げて、どのような地理的な特徴があるのか、大阪の町がどのように形作られてきたのかも学ぶ時間を持ちました。森ノ宮のピースおおさかを訪れ、軍都であった大阪の戦時の様子についても見学したほか、大阪城にも足をのばしました。韓国ではやはり朝鮮侵略のイメージが大きい豊臣秀吉が、大阪の基礎を築いた人物でもあることから、「日本から見た秀吉像について新たに知ることができた」との感想、大阪城のなかに設置されている説明板が加害の歴史についても言及していたことなどから、「痛みのある歴史についても直視している人たちがいることがわかった」と、大阪に来たからこそ実感できることも少なくなかったようです。
後半のワークショップは、コリアタウン内にある、いくのコーライブズパークを会場におこなわれました。日本からは、大阪だけでなく関東地方からも含めて8名の中高生に加え、大学生ボランティアも10名以上が参加し、活気に満ちた時間になりました。
ワークショップのひとつは、ロールプレイによって歴史を追体験する演劇ワークショップ。地球に、より高度な文化を持つギャラクシー星人がやってきて、地球人は稼げる仕事をもらえるかわりに家族が離ればなれにさせられたり、ギャラクシー帝国の言いつけに従うことで教育を受けられるようになったり、様々なシナリオを通じて参加者は歴史を追体験します。日本語と韓国語が混在する進行にところどころ状況が把握できなくなる場面もあり、特に一緒に参加していた大人たちは不便を感じることもあったようですが、これもまた設定のひとつ。言葉が理解できないまま周囲の雰囲気にあわせて、または強制されて、自分の意志とは異なる行動をとらざるをえなくなることを、まさに体感するワークでもあったことが、振り返りの場で明かされました。
演劇ワークショップの一場面。言葉でなく体現して伝える
そして最後の時間は、日本のラジオ体操・韓国の国民体操や、ジェスチャーゲームを楽しんでリフレッシュしたあと、等身大の人物像を4チームにわかれて制作する絵画ワークショップが行われました。
全日程の振り返りも込めて、今回の舞台となった「大阪」、そして交流を通じて考えた「平和」の二つをモチーフに織り込むことを条件に、チームごとに話し合っての作業が進みました。日韓はまず、言葉のハードルがあるはずですが、ボランティアをつとめてくれた大学生や高校生の参加者のなかには通訳をつとめられるほど言葉に堪能なメンバーがいて、積極的な意見交換のあとには集中して作業が進みました。
コリアタウンの象徴である「百済門」が描きこまれたもの、東アジア各地をつなぐ列車を背景に走らせた作品、前日に訪れた道頓堀の「グリコ」像のポーズ…たくさんの思いが詰まった作品をお互いに披露しあい、「なるほど!」の気づきもたくさんある楽しい作品が仕上がりました。
グリコ像の変身:背景にたこ焼き、シルクハットからは平和の象徴の鳩が
猛暑のたいへんな環境のなかでの企画となりましたが、最終日のバーベキュー交流会をはじめとして食を満喫し、毎晩銭湯に通ったり、道頓堀でお土産を買ったりとそれぞれに楽しみを見つけ、そして何より、短い交流にもかかわらず親しくなった日韓の友人たちと別れがたい経験を重ねた学びの多い夏となりました。(〒)
*済州4.3:1948年4月3日の済州島での武装蜂起に端を発し、米軍政のもとにあった李承晩政権の武力鎮圧の過程でおよそ3万人の島民が犠牲となった出来事。