平和人権/アジア
平和人権/アジア2025/07/31ツイート
ミャンマーのお坊さんに聞く「サフラン革命から軍事クーデター」
2025年7月10日、来日中のミャンマー出身の僧侶、アシン・タワラ師をお招きし、「ミャンマーのお坊さんに聞く「サフラン革命から軍事クーデター」」と題したセミナーを東京・見樹院で開催しました。タワラ師は2007年にミャンマーで起きたサフラン革命に参加し、その後ノルウェーに逃れましたが、海外にいながらミャンマーの民主化を応援しています。
タワラ氏は2007年にミャンマーで起きたサフラン革命では、リーダー的存在の一人として民衆のために立ち上がった僧侶です。当時、長く続いていた軍事政権下で燃料が高騰し、人々の暮らしが追い詰められていったため、僧侶たちが立ち上がった革命です。3万人の僧侶がヤンゴンの街を歩き、緋色の衣で埋めつくしたことからサフラン革命と呼ばれています。
タワラ師は、その後ミャンマーにいることができなくなり、まずバングラデシュ、その後インドに逃れました。インドにいらっしゃる時に一度来日されていて、その際にインタビューした記事がこちらです。
その後は難民としてノルウェーに行かれましたが、2021年の軍事クーデター後、ふたたび民主化運動を応援しようと2023年に来日され、今年もお迎えすることになりました。今日通訳を務めてくださるのはオオタ・バニーさん。在日ミャンマー人で、クーデター後に一般社団法人ミャンマーグローバル支援財団を立ち上げ、募金活動もしながらミャンマー民主化の動きを日本から支える活動をしていらっしゃいます。
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今回の来日の目的を教えてください。
タワラ師:ミャンマーで現在続いている軍事政権による暴力と人権侵害の実態を国際社会、特に日本の宗教指導者や市民の皆さまに支援と連帯を呼びかけるためです。ミャンマーの軍事政権は明確な意図をもって民衆を弾圧し殺害し続けていますが、国際社会は徐々に関心を失ってきています。
またこれまでミャンマーの人々のためにご支援くださっていることに皆さまに感謝の気持ちを表したいという思いと、平和構築と人道支援に向けて協力関係をさらに深めることを目指しています。未来の世代のために助け合いの精神が歴史に刻まれることを祈っています。協調が社会の再構築に不可欠です。ミャンマーの現状は世界に困難をもたらしており、ともに解決策を模索することが求められます。進んだ技術、教育制度、機会の制度化が平和と発展につながります。本日の場など、宗教者の連帯は国際社会の模範となり、対話と協力を通じて、暴力ではなく平和な手段や体験を進めていくことは重要です。ミャンマーで人権が守られ、正義と平和のために、今こそ世界の理解と協力を必要としています。この運動への参加、支援を心から呼びかけたいと思います。
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サフラン革命のとき以来、先頭に立ってお坊さんとして民衆のために活動されているのですが、どういう思いで活動に参加されたのでしょうか。
タワラ師:サフラン革命の後は国の体制が変わり続けました。アウンサンスーチー氏率いる政党が選挙に参加できるまでになったことも歴史に刻まれた出来事です。わたしたちの国ミャンマー、未来を失いかけたこの国を新たな友情と新たな仲間とともにもう一度建て直そうとしているところでした。
サフラン革命において現在ミャンマーは豊かな国に変化していましたが、軍部のクーデターによって国の体制が変わってしまいました。それにいま内戦が起きています。そのため日本を含む国際社会から支援を求めています。
サフラン革命とはミャンマーで重要な民主化運動のひとつであり、現在では世界的に注目される歴史的な出来事として語られています。サフラン革命はミャンマーの歴史において基本的人権と政治的視点、そして広範な社会的影響をもたらした象徴として位置づけられています。2021年以降、ミャンマー国内の政治状況はとても不安定で、政府と市民団体との間に武力衝突や深刻な対立が続きました。このような状況を国民の生活の大変大きな不安を与え、雇用や経済の困難、少数民族の権利問題など複雑な課題が浮き彫りになりました。これらの社会的な苦悩の根底には、まさにサフラン革命が示した民衆の葛藤と抗議の精神は息づいていたのです。この革命に参加した人々は自由と正義の確立を目指して闘い続けました。未来のためのあらたな可能性、人間の尊厳と共に生きる社会の実現という希望とつながっています。
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お坊さんが立ち上がったのには理由があったのでしょうか。2021年のクーデターの後後はサフランの後のようにはお坊さんの動きが目に入ってこなかったこと。お坊さんの活動があまり多くなかったのであればそれはなぜなのかお話いただけますか。
タワラ師:2007年は参加された方がたくさんいらっしゃいます。ただ2021年には軍事側に立つ方が多くなりました。それは宗教指導者として恥ずかしいことです。今の状況は大変困難な状況です。
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2007年の時ほど民衆のためにしようという気持ちがなくなったということですか?何か理由があるのでしょうか。嫌がらせを受けたとか。もしくは目立たないけどどこかで活動されている方がいるとか。
タワラ師:一番思うこととしては人々の恐怖感です。軍事政権が流すプロパガンダによる恐れでみんな変わってしまいました。ただし全員ではなく、今も闘っている人もたくさんいます。
恐怖心を受け付けることは、軍事政権が1958年から70年近くやってきたことで、2007年に始まったことではありません。軍事政権に反対した人は、本人のみならず家族全員、次世代全員処罰される、刑務所に入れられました。その恐怖からいまだに皆逃れることができずにいます。日本は民主主義の国ですのでこのような軍事政権による弾圧がどれだけ厳しいか理解できないかもしれませんが、昔の軍事政権を知っている世代の方々はよく理解できると思います。
そのためにも、次世代の方々に対して、その恐怖心から逃れるように伝えてもらって、彼ら彼女らがその恐怖心から逃れることを願っています。
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タワラさんご自身もミャンマーを出なくてはいけなくなり、いまノルウェーにお住まいということですが、差し支えない範囲でどういう形で逃れることになったのか、どういう形でノルウェーまで行かれたのか、共有していただくことはできますでしょうか。
タワラ師:ノルウェーにわたることになったのは、人権、経済の各分野において重大な影響を受けた結果です。サフラン革命後、政治的緊張が高まり、対立により国家全体に深刻な混乱が生じました。こうした状況の中で国民は困難に直面し、選択肢のない状況に追い込まれていきました。そのような中で私はノルウェーに移るという判断を下さざるを得ませんでした。ミャンマー国内でルールや制度が作られていくなかで、よりよい未来や可能性を求めて多くの人々が日本・韓国・ノルウェー・アメリカといった国々への移住を選びました。とくにノルウェーは雇用、教育そして人権の面で非常に整った社会インフラをもつ国です。
私は、ミャンマーにいると身に危険が及ぶため、2008年6月22日にまずバングラデシュにわたり、それからインドに行きました。その後タイに行きそのあと日本に行きました。日本から戻った後に、ミャンマーに戻ろうと思ったのですが、ミャンマーに私が帰るのはまだ危険だったので第三国定住を考えました。そのときにノルウェーのビザをたまたま取得できたのでノルウェーに向かいました。
2011年2月にノルウェーに行き、難民として認められて6か月後にノルウェー国籍を取得しました。そのあと2012年にアウンサンスーチー氏がノーベル平和賞のためにノルウェーにいらしたときは、一緒に参加しました。そのときはまだ現地の言語を学んでいる時でした。いずれ、大学に行く予定だったのですが、コロナ禍に入りクーデターが起きてまた民主化活動に戻ってきました。今はノルウェーにあるアウンサンスーチー公園委員会の委員を務めています。
ただし、今回のクーデターでまた民主化活動を積極的に進めようと、現在はタイに滞在しています。タイのマハーチュラロンコーンラージャウィタヤーライ大学という仏教大学で学んでいます。大学に通いながら、国民統一政府、国民が選んだ政府と協力して募金活動を主にしています。いまはミャンマー東部のドーナ山脈のあたりにドーナ・ランド専門学校を作って子どもたちに英語などいろいろなことを教えています。
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2021年にクーデターが起きてから、タワラ師は海外にいながら、ミャンマーの外で民主化運動、そして子どもの教育にも携わっていらっしゃいますが、お坊さんとして、どのように民主化を支えておられるのか、教えていただけますか。たとえばほかのお坊さんと連絡を取り合っているのでしょうか。
タワラ師:基本的にはITなど技術的な面に力を入れています。54か国まわってそれぞれの国で知っていた方をひとつのグループにまとめました。基本的にはこの54か国の情報共有を日々続けました。毎日ZOOMを使って会議をしました。国民統一政府がデジタルガバメントという仕組みを作ったので、そこに参加して、基本的に資金集めを行っていました。ZOOMミーティングは少なくとも1日20回から30回くらいあって、2~3時間しか寝る時間がなかった時もあります。時差があるのでそれに合わせたらこういうことになってしまいました。そのおかげでたくさんの支援をいろんな国にいる親しい方々からいただきました。海外にいる方々からは、ミャンマーの方々をわたしたちは忘れていません、一緒に闘いますという決心を感じました。当時なにもない状態から統一政府(NUG)ができ、その中で様々な委員会が始まったのも、すべてがオンラインから生まれたものであります。インターネットは軍によって切断されても使えるように、いろいろな形で工夫してきてきました。
これらの技術によって、いま軍が空爆などしたとしても、すぐ情報が伝わるようになっています。みなさんご存じのとおり、ウクライナも同じような状況です。ウクライナとも協力して、現状をそれぞれ国際社会に向けて伝えられることができました。
ではここで、参加者の皆さまから確認したいことや質問など伺いたいと思います。
Q:いまミャンマーは内戦をしていると思うのですが、民主化の勝利というものを、たとえば軍事政権を倒すとか、勝利の形をどのように思い描いていらっしゃいますか。
タワラ師:ミャンマーの民主化の勝利をどう描くのかということは、いろいろな研究がされています。現在、ミャンマー軍の勢力下に入っているのは、ミャンマー全土の2割です。私たちは一歩ずつ前に進んでいます。このように進むことができたのは海外からの支援があったからこそです。
Q:ミャンマーのお坊さんはかなり厳しい戒律のもと勉強と瞑想修行に力を入れて、社会や世俗のことには一線をおいているというイメージがあったので、サフラン革命でお坊さんが立ち上がったというのがとても驚きでした。いろいろ葛藤もあったと思うのですが、どのような思いでそういった活動をする決意をされたのでしょうか。
また、ミャンマーのお坊さんは250の厳しい戒律を守りながら活動されるのはとても大変なことだと思います。活動のためにお坊さんをやめて、一般の人として自由な状態になって専念しようと思われたことはないでしょうか。
タワラ師:仏陀の教えでは、僧侶は社会のために働くという教えがあります。わたしは社会のために働きました。自分の身の回りをよくしたうえで、厳しい僧侶の戒律を守るという教えです。わたしはその教え通りに実施しました。
不正はしない、新しいことをする、心をきれいにする。この通りにして、僧侶として悪いこと、秩序を破ったことは、なかったと思います。
正直に言えば、僧侶をやめて軍隊に入って戦いたいくらい気持ちになったこともあります。目の前で残虐な弾圧が行われていれば、その人のために働きたくなります。手足が切断された兵士たちを見るときなど、とても心が痛みます。僧侶のなかには僧侶をやめて戦っている人たちもいます。その方々からは、タワラ師は僧侶をやめないでまず募金活動をたくさんして私たちを支援してください、というような言葉をかけられることが多いです。私は自分の役割を果たしています。戦っている人のなかには14歳の子どももいます。彼らを見ていると、42歳のわたしが彼らのためになにもできないと心が痛みます。
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最後に、タワラ師から日本のわたしたちに伝えたいことを一言お願いします。
タワラ師:ミャンマーの未来のため、いまもっとも訴えたいことは、私たちはいまこれまで以上に連帯すべきだということです。ともにひとつの道をひとつの目的のために歩んでいます。そして決して心折れないでください。心折れてしまえばわたしたちは敗北してしまいます。いまもなお密林のなかで武器を取って闘っている人々、彼らを支援している人たち、PDMに参加している方々、革命に参加しているすべてのみなさんが疲弊していることをわたしは理解しています。だからこそ、心を強く持たないといけません。ともに手を取り合い、心をひとつにして立ち向かえば、きっとこの革命は成功します。革命は必ず成功しますように、そしてわたしたちはともに歩んでいきましょう。ありがとうございました。
最後にここにいる方々にお願いしたいことがあります、これはミャンマーの革命は成功への途中にあります。わたしたちが支援する人たちが選ぶ国民統一政府を正規の政府として認めていただくこと、ミャンマーで選挙が予定されていますが、その選挙を認めないことを日本政府にお願いしていただきたいです。日本は民主主義を重要視している国であります。軍部に接しない、認めない、国民統一政府のみ認めていただき、ミャンマーの民衆を支援していただきたい。そのように日本政府に国民の方々からできる範囲でお願いしたく存じます。