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平和人権/アジア

平和人権/アジア2016/09/06

ダッカ事件その後1:家庭やコミュニティの視点からとらえる


 7月にダッカ襲撃事件が起きたあと、アーユスのパートナー団体である「アジア砒素ネットワーク」の石山民子さんは、この事件を単に海外で起きたテロ攻撃ではなく、ある意味経済発展の道を歩む社会に共通する問題を感じていました。もちろん日本社会にも通じます。宗教や貧困の問題であるというのではない視点を持ってこの事件を捉えることで、事件の見方が変わってきます。石山さんに、自身が事件後に感じたこと考えたことを綴ってもらう連載「ダッカ事件その後」の第1回をお届けします。


家庭やコミュニティの視点からとらえるダッカ・レストラン襲撃事件

 7月2日朝、ダッカのレストランで人質事件が起きていることをニュースで知った。その時には、ISとの関係が疑われる過激派グループによって周到に計画された残虐極まりない事件で、私たちとも近い立場にある日本の援助関係者7人を含む22人が犠牲となり、その後バングラデシュと諸外国との関係性に大きな影響を与える事件になるとは思っていなかった。

 機動隊による鎮圧後、実行犯らの立てこもり中の言動が報じられた。救出されたバングラデシュ人は「実行犯らはイスラム教徒のバングラデシュ人にはとても親切で、その日の断食が続けられるよう食べ物や飲み物を与えてくれた」と語った。この事実は実行犯が「単なる暴れ者」ではないことを示唆させ、私に1977年のダッカ・ハイジャック事件の際バングラデシュ側で交渉にあたったマムード空軍司令官の「実行犯(日本赤軍)はとても礼儀正しく好青年だった」という発言を想起させた。私だけでなく日本赤軍や学生運動と重ねて考えられた方は多かったようだ。

 しかし、実行犯の親たちのコメントは、違った印象を私に与えた。
「息子はとても良い子だった」
「友達からも人気があり、虫も殺せない男の子だった」
「つい最近まで自分の手でご飯も食べられなかったのに」
と息子たちが優しく、繊細な子どもたちであったことを親たちは強調した。

 これを読んだ時、日本人がむしろ類推すべき対象は、高度成長期のただ中に生を受け、バブル崩壊前に成人を迎えた、「積み木くずし」に代表される私たち世代ではないかと考えるようになった(ちなみに筆者は1971年生まれ)。この世代は、戦争前後に生まれたその親たちとは、大きく異なる環境で育っている。親たちの子どものころは、都市部を除いては水道やガスの未普及地域も多く、水汲みや薪集めや火燃しといった労働が残り、社会福祉制度も発展途上、高校への進学率も高くなかった。家電製品の普及により暮らしが便利になったことで、わが子に勉強する時間が十分与えられることを誇りに感じたはずだ。しかし、恵まれた環境にありながら、子どもたちは親や教師に猛烈に反発。特別な事情を抱えた子どもたちだけではなく、普通の家庭に育った子どもたちも、一歩間違えば「非行に走る」危険と隣り合わせだった。その反発の根底には、地域や国を良くしようという運動性や大儀はなく、親や社会からの期待への不適応や自己主張だけがあった。

 報道によると、今回のダッカ事件の実行犯らのうち少なくとも3名は、ダッカの裕福な家庭の出身で、無菌室のような環境で教育を受けてきた。彼らの親たちは、確かに今は金持ちかもしれないが、若いころは苦労と無縁だったとは想像しにくい。30~40年前のバングラデシュは国全体が絶対的貧困に包まれていた。食べるものもなく、コレラ・赤痢・結核といった感染症が蔓延し、人が簡単に死んでいく時代だった。それがこの10年~20年で劇的に改善した。親たちは自分の子どもにも苦労をさせまいと、最優先で机に向かわせたが、時に過保護になり、野外での活動や家事を含む「生きるために必要な学習」の機会を奪ってもきた。バングラデシュの場合は、階級社会で、男女の役割もはっきりしているため、富裕層の男子にはこの傾向は顕著であろう。

 5人の実行犯の遺体を親たちは引き取らなかった。溺愛していた息子の遺体を引き取ることもできないとは、親の失望は想像してあまりある。彼らの行動は、彼らを育んだ家族、コミュニティ、祖国の人々を喜ばせなかった。困難を抱える弱き人々の問題を取り除くことにもつながりそうにない。いくら聖戦だと言い張られたとしても、故郷の平和と福祉を後退させる行動は許されない。

 不正義は確かに横行する。世界的なイスラム教徒に対する偏見や差別は、イスラム教徒には許しがたい状況だ。それでも、暴力という手段を選ぶものはごくごくわずか。平和と対話を重んじて、誇りを持って生きるイスラム教徒が大多数だ。
 不正義に出会ったとき、どのグループに属し、あるいは属さずに、何を主張し、どの手段で問題解決を求めるか。次世代を担う若者が自分の感性で適切な手段を選択する力を養うために、家族やコミュニティは何ができるか?
 このことは特定の宗教の問題ではなく、私たちにとっての課題でもある。<続く>

文責 石山民子

 8月4日、アーユス仏教国際協力ネットワークとアジア砒素ネットワーク(AAN)は、「若者たちの正義感をテロに向かわせないために:ダッカ襲撃人質事件をNGOとともに考える」と題する共催セミナーを開催しました。