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平和人権/アジア

平和人権/アジア2009/08/01

食から見えるメコンの暮らしと開発


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 チベット高原に源流を持つメコン河は、中国雲南省を通り、ビルマ、中国、タイ、ラオス、カンボジアを通ってベトナムへと続く大河です。流域では、河が与えてくれる自然の恵みとともに豊かな暮らしが営まれていました。
 しかし、この近年、メコン河流域では開発事業が盛んに行われるようになり、環境が変わってきています。これまで河と共に成り立っていた生活を、営むことができなくなっています。
 今回は、アーユスの新規支援団体である「メコン・ウォッチ」の木口由香さんによる講演録の抜粋をお届けします。木口さんは、メコン河の支流であるムン川周辺に住む人々の生活が、ダム建設によりどのような影響を受けたのかをテーマに研究を続けていらっしゃいます。環境を守ることの大切さを、地域に住む人々の暮らしや視点を元にお話いただきました。河を守ることは、すなわち私たちの暮らしを見つめ直し変えていくことにつながるのではないでしょうか。   (文責・編集部)


木口由香(きぐち・ゆか)
 東京生まれ。東洋大学の印度哲学科在学中にタイに通い始めタイ語を習得。卒業後、会社員生活の後ラオスにボランティアとして1年滞在する。通訳などを経て、1999年からメコン・ウォッチの活動に参加。河川の環境と開発に関心を持ち、ラオス南部や東北タイの漁業について調査をしながら、映像を活用した環境教育などを行っている。
 業績:「南部ラオスの平野部における魚類の生息場所利用と住民の漁労活動」(共著、『アジア・アフリカ地域研究』第3号 2003年)、「東北タイの漁具トゥムヤイ−失われた遺産と人々−」(映像作品、2008年)など。
現在、メコン・ウォッチ事務局長・ラオス・メディアプロジェクト担当/京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程在籍中

メコン河と人々の暮らし

 メコン河の支流にムン川というタイ東北部を流れる川があります。川沿いの村では、魚を中心とした料理を多く食べます。例えば、魚を発酵させたパデーク。タムマクフンという熟れていないパパイヤサラダの調味料にもなります。ラープという肉や魚をたたきにした辛いサラダもおいしいです。

 ムン川下流域の町の人たちは、市場で食材を手にいれるんですが、それらは村の人が持ち込んできて売っているんですね。自分の家の庭先の畑で育ったものもあれば、森や河原で採取してきたものもかなりあります。魚は、河や沼や水田、水路などで捕ったものです。

メコンの恵 多くの人は水田でも魚を捕ります。これは水田に小さな「梁」を仕掛けるんですが、あのあたりではほとんど天水で水田をやっていますので、田んぼに段差があって水が田んぼを伝って落ちていくんですけれども、だいたい一番低くなるところに仕掛けを置きます。また水田には、野草がいろいろ生えるのでそれも食べます。ラオスでは緑色の少し不思議なにおいのするタケノコのカレーがよく出ますが、あれにいれるパッカヂェンという香草は水田に自然に生えている草です。良いにおいがします。ラオスで刈り取った後の水田を歩くと、その草をふむので非常にいいにおいがします。タイやラオスの演歌で、そのにおいを嗅ぐと出稼ぎにいった恋人を思い出すみたいな歌詞があるのですが、それくらい身近な草です。

 雨期と乾期では川の流量はかなり変わります。雨期には満水になる場所が乾期に水上に現れて、畑になります。この農業は非常に合理的でして、ほとんど肥料をやらなくていいんですね。というのは一年のうちの何ヶ月かは水に浸かるため自然に表土が更新され、あまり肥料をあげなくても栽培できます。また乾季でも水に困りません。

 魚もこういった環境に適応したものが生存しています。タイ東北部では、多くの魚が雨期には支流に入り込んで乾期には本流に戻るという動きを繰り返しています。海には出ませんが、魚の回遊といえます。

漁具 人々は川の近くで暮らすうえで、いろいろな知識を持っています。例えば、川の中の島や岩で、船が通りにくいところや乾期に岩の頭が出てそこが休憩所として使えるところなどをみなさん覚えています。一番話題になるのはゲーンとよばれるいわゆる早瀬です。乾季に歩いてこれを覚え雨期になると、つりや仕掛けのポイントをこういう地形から割り出します。どの辺に大きな魚が潜みそうといったことなど、ほんとうによく覚えていらっしゃいます。

 川の中の地形は早瀬や平瀬など細かく区別されています。そしてそれぞれに名前がつけられているのです。

サイ  右の写真の中の男性が持っているのはサイとよばれるもので、これは魚とりに限らず東北タイやラオスではよくレストランにかかっています。魚が自然に入り込むように泥の中に仕掛けるもので、富とかお金が自然に入りますようにという縁起物として飾るのです。
漁具も多様で一つの村で調べたら、二十種類くらいの漁具が普通に使われていたのですが、時期や自然環境、魚の特徴によって選んで使っています。

 魚は腐りやすいのでいろいろな保存方法があります。干物は一般的です。この小さい魚を花のようにまとめて乾燥させて、そのまま揚げて食べます。見た目がきれいなのと、売りやすいということでこのように加工されます。ナレズシみたいなものも一般に作られています。これはお米を混ぜて塩やニンニクを入れてよくもんで二、三日発酵させてから焼いて食べます。非常においしいのですが、においがなかなか強烈です。

 前述のパデークは、三ヶ月から一年くらい塩と糠などを混ぜて発酵させています。このあたりの主食である餅米をそのままつけて食べることもあれば、上澄みを出汁のように調味料とするなど非常に広く使われています。

 今お話したような食べ物のほとんどは、身の回りから調達できます。私がタイの村の人とピクニックに行くと、持っていくものは鉈と投網とご飯だけなんです。おかずはどうするんだろうと思っていると、みなさん水の中に入っていて魚を捕ったり、森に入ってキノコを採ってきたりして、そこで調理が始まってさあ食べようということになる。身の回りどこにでも食べられるものがあって、それを利用する知恵というものをみなさん持っていらっしゃいます。

開発がもたらすもの

 そのような地域に開発が行われるとどうなるでしょうか。ここでいう開発とは、発電所やダムなど大型のインフラ整備のことです。例えば、ムン川に造られたパクムンダム水力発電ダムですが、日本も出資している世界銀行が融資して造られました。このダムが魚の回遊を妨げてしまったことで、非常な漁業被害が出てしまいました。しかし、ダムを造る時は土地と水没者の補償だけがあり、漁業の調査は全くされていませんでした。住民の人たちが魚を捕れなくて困ってダムができてから大きな反対運動を起こすんですが、最初に被害を訴えなかったので、ありもしない被害を訴えているという補償金詐欺のような誹謗中傷が事情をしらない町の人や政府によって引き起こされました。

 当初、住民の人たちはダムに全く関心がなかったそうです。ダムができたら魚は今まで以上に捕れるからと説明を受けていた上に、国家の事業に反対するのは大変なことですので、ほとんどの人は静観していて、反対していたのは土地を収用される方だけでした。

 この地域は農業地帯と言われていますが、岩盤が多いために農業適地が非常に少なく、漁業で生計を立てていた人が多かった。魚が捕れなくなって、今まで食べてきたものが手に入らない、それから現金収入の道が絶たれてしまうと二重に困った。そして、ほとんどの人たちが出稼ぎに出なくてはならず、あまりにもひどいということで多くの人たちが立ち上がって反対運動を展開しました。

 99年から三年近くダムの敷地を占拠して、そこに年配の人たちも子ども達も一緒に暮らしながらずっと毎日毎日抗議運動をしたんです。それが注目されて、タイ政府も対応せざるを得なくなり、今では年間四ヶ月ほど水門を開けて運転されるようになりました。これ、非常にすごいことなんです。政府が造ったダムを一部だけでも使わないというのもすごいことだし、タイの発電公社はとても強い機関で、住民運動くらいで方針を変えるというのは、以前はありえない話だったのです。

パクムンダム

パクムンダムが開門している様子。

 今はタイの中でダムを造るのは非常に難しいと言われています。でもタイの発電公社はアセアンの電力ハブになるという計画を持っていて、たくさんの発電計画と送電整備の計画があります。ダム予定地は、ラオスやビルマ。というのは住民が反対しないから。ラオスは一党独裁で政治的な自由は限られていますし、国のプロジェクトに反対するのは非常に難しいことです。ビルマでは、ダムの建設予定地にビルマ軍が入り込んで、その地域に住んでいる少数民族を追い立てたり、強制的に労働力として使ったりという深刻な人権侵害が起きています。

 食料を身近の自然から取り出す人たちにとって、ダムは非常にリスクの高いものになります。もともとこの地域は雨の降る時期と雨の降らない時期がはっきりしていて、人の生活もそれに既に沿ったものです。そのなかで川の流量を人間が適当にコントロールするのは、本来の生活スタイルが変わるということです。それから魚類などの生物も自然環境に適応して暮らしていますから、影響を受けてしまいます。

 もう一つの大きな影響は川岸が崩落することです。ダムは発電の際に放水するので、一日のうちに何度か水位が上下し、川岸がどんどん水に削られます。土が水を含んでいるときにぱっと水を抜かれてしまうと、土が自分の重みで崩れてしまうからです。もともと深かったところが浅くなり環境は非常に大きな変化を受けています。

 よく魚道を造ればいいんじゃないかと言われますが、魚道というのは鮭のように特定の商業的な価値のある種に対して開発されたものです。メコン河流域には千二百種の魚がいると言われています。ですから、鮎の魚道や鮭の魚道をもってきてもそれだけの魚が全て通れるような魚道をつくるのは技術的に不可能です。費用の問題もあります。魚道というのは工学の人が造っているので、生物への知識がないために日本でも機能している魚道というのはとても少ないです。

「豊かさ」とは?

 日本の生活とメコン河の生活を比べてみて、日本は当然経済力が高くて豊かな生活をしているというのは、一面真実ですが、ちょっと見方を変えてみるとメコン河流域の方が豊かなものも見えてきます。

最近、フードマイレージという「食べ物が運ばれる距離の環境負荷を考えること」が提唱されています。日本のフードマイレージはある計算では五百億トンキロメートルで、アメリカよりも大きいそうです。距離にして換算すると、東京からシカゴまで行ってしまうっていうんですね。自給的な生活をしているメコン圏の方々はたぶん五キロとか十キロなのでかなり違うわけです。それぞれの生活の環境負荷を考えると、私たちの方が莫大に大きいことになります。

 よく貧困削減とか貧困対策が言われますが、私たちメコン・ウォッチとしては、なぜ今あるものをとっておかないのだろうと考えます。メコン河の食料の供給源としての重要性は高いのに、それを電力という経済的な価値に変えて貧困削減につなげようとするのか。例えば、カンボジアの農村部では動物性タンパク質の六割を魚から摂取しています。魚は貧乏で道具がない人でも誰でも比較的捕れるんですが、他の食料ですと買うためのお金を稼がないといけません。不利な立場にいる人ほど、現金にアクセスができないのは当然ですので、誰もが平等に使える環境を少しとっておくのが、貧しいと言われる人には重要なのではないでしょうか。しかし、そういったものをわざわざつぶして、国が福祉や教育という別のものに還元するというのは、一面正しいんでしょうけれども、社会のセイフティネットを脅かす側面も生み出します。

 また、ラオスみたいなところに行くと、私たちはそこに無いもの探しをしてしまいます。私も最初はそうでした。学校に行っても机もないし本もないし、先生もろくにいないし、病院もないし、収入も少ないし、とみてしまう。ラオスにないものばかりみていると、経済発展をしてお金が必要なんじゃないかと考えてしまいます。

 またラオスを例にしますと、ラオスの中で水力発電の計画がたくさんありますが、それによって今日お話したような問題をどこでも抱えることになります。水力発電からの収入で経済発展をして、それをきちんと社会的に分配するといいますが、農村部で自給自足の生活をしてきた人たちが市場経済の社会に飛び込むのは、私たちが明日から自給自足しろと言われるくらい難しい話です。それを世界銀行などが、発展のためだと強く押し進めています。ラオス政府もそれに従って動いているのですが、その発展というのを誰が定義したのでしょうか。ラオスの選択については、ラオスの村の人たちは誰も聞かれていません。どこかで決まってプロジェクトが降ってくる。反対できないからそれに従って動くだけです。

 最近よく言われているのは、生活の質だとか幸せを測る指標が間違っているのではないかということです。たとえばGDPがあがっても私たちは幸せになるのかというのを、環境ジャーナリストの枝廣淳子さんが彼女のメールニュースで問いかけていました。GDPが上がるためには、物の生産とか流通が起きればいいのです。なので、例えば公害が起きて誰かが喘息になって病院にかかればその医療費があがってGDPがプラスになるのですが、その人の不幸というのはカウントされません。治安がどんどん悪くなって警官の超過手当が出たならば、それは経済成長にプラスにされるから、地域の治安が悪くなればGDPがあがります。GDPは経済をみるのに有効な指数である一方、私たちの幸せをはかるにふさわしいのでしょうか。

メコン・ウォッチの取り組み

 メコン・ウォッチのビジョンは、「メコン河流域に住む人々が開発の弊害を被ることなく地域の自然環境とそこに根ざした生活様式の豊かさを享受できること」です。93年に、メコン河流域で活動する開発NGOのネットワークとしてたちあがりました。当時、カンボジア和平が成立してもこれまでとは違う問題が起きるだろう、いわゆる大型の援助ラッシュになって地域の人々の生活を脅かすのではないかと懸念し、ネットワークとして立ち上がったのが今のメコン・ウォッチの前身です。98年に独立したグループになって、2003年に法人化しました。

 具体的な活動としては、調査研究、モニタリング、そして日本の方にこういった問題を伝えること、実際に援助している政府機関や監督する機関に政策提言という活動を行っています。

 今、モニタリングをしている事業はラオスのナムトゥン二ダムとカンボジアの国道一号線の改修事業などです。カンボジアの例では、アジア開発銀行と国際協力機構が国道の改修事業をしているのですが、立ち退きをする人への補償はカンボジア政府の責任だと最初はそのことに関心が低かった。国道の改修は貧困削減プロジェクトで、カンボジアの経済を活性化させるためにやっているというのですが、実際は道路沿いに住んでいた貧しい人たちが追い立てられてしまいました。このような現地の情報をNGOや現地住民組織の方からもらい、それを関係機関に伝えて、改善を求めたところ、再補償が行われるなど改善がされてきました。また、一部の住民の方は補償が不十分であると意義申し立てをしていますが、そのやりとりの一部をメコン・ウォッチがサポートしています。

 また、ラオスでは環境メディアプロジェクトと、森林保全のプロジェクトをやっていますが、たぶん日本のNGOがやっている森林保全プロジェクトで木を植えていないのは私たちだけではないでしょうか。ラオスでは90年代から土地森林委譲政策というのが始まり、きちんと土地の所有者と村と村の境界線を決めて、環境の劣化を防ごうとしたのですが、目的とは裏腹に企業にいい土地を持っていかれたり、村同士の争いになってしまったりといろんな問題が発生しています。全国一律の規格でやってしまったことが問題を大きくしたようです。そこで、村の人たちと郡のお役人たちが話し合って、両者にとって都合のいい形で新しい土地区分と管理方法を決めることができるプロジェクトを小さな場所でやっています。これから、この経験をレポートや映像にして、政府関係者や専門家に情報を提供し今後の政策がよくなっていくようにということを働きかけていきます。

 最後にまとめますと、最近の援助の潮流は魚を与えることから捕ることを教えることだいいますが、ようは物をあげる援助ではだめでスキルを教えてその人たちが自立できることが開発援助の潮流だということでしょう。私たちの仕事は少し質が違って、「魚を捕る河を守る」ことだと思っています。良い河がなければ、魚を捕るスキルがあっても使えないからです。また、「人々が魚を捕る権利を保ち続けられる」よう働きかけることも重要だと考えています。