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仏教エンタメ

仏教エンタメ2006/02/09

【女性と仏教:最終回】私


女性と仏教

 ときどき、「自分は本当に仏教徒だろうか」と考えてみることがある。

 先日もある会で「てっきり僧侶だと思っていました」なんて言われて赤面したが、じつは私はまだ授戒すら受けていない。僧侶としての得度どころか、信者としても、百歩も千歩も初歩のところでふらふらしている。

 曹洞宗の僧侶の娘として生まれ、大学で仏教を学んでくれば、寺院の生活に親しみを持つのは当たり前だし、教えについての知識もある程度は身につく。しかし、だからといって仏教徒であると言い切れるものではない。まして私は自分をフェミニストだと思っているのだし、そのフェミニズムから仏教は「性差別している」と批判されているのだから。

 しかし、最初にも書いたけど、信仰というのはつまるところ人間一人ひとりの(極私的な)問題なのである。大胆なこと言ってしまえば、ひとくちに仏教、あるいは仏陀の教えと言っても、それは信じている人間の数だけあるんじゃないかとさえ、私は思う。ただ、その人が生きていく中で、仏教もまた生きるとしか言いようがない。

 幸いなことに、現在私が生きている社会では、仏教に限らず信仰というものは、誰に検証する必要もない、自分自身の自由に属する問題である。もちろん、信仰が自由にならない社会が今でも世界のどこかにあり、自由にはならない時代がかつてこの国にあったことも知っている。私がここにこうしていられるのは、そこで苦しみながらも光を見出した多くの人たちが居てくれたからだ。男性主体の歴史では決して目立ちはしないが、そこには必ず女性たちの姿もあった。

 たとえば、華稜慧春尼。室町時代の傑出した曹洞宗の女性僧侶だが、容貌があまりに美しかったため「他の(男性)修行僧を惑わすから」となかなか得度を許されなかった。そのため、自ら顔を焼いて出家したという。

 しかし、伝記を詳細に調べるうち、私にはどうしても、慧春尼がそのような男性側の勝手な言い分に迎合するようにして顔を焼いたとは思えなくなってきた。彼女にまつわる伝説の大部分は、当時の(またそれ以降の)男性たちの女性観によって作り上げられたものではなかったのか。本当の彼女は、それらの伝説が与えるおどろおどろしいイメージとは違って、ひたすら自分の信仰を生ききった闊達な女性ではなかったのか、と。

 もしも私がフェミニズムと出会っていなければ、そんな考えは出てこなかっただろう。男性たちの言い分を唯一正しいと思い込んだまま、うつむいて生きていただろう。フェミニズムが私に、女だからってうつむいて歩くことはないと教えてくれた。そうして目をあげた私が見出したのは、広くて豊かな仏教の世界だった。

 だから。私が思い浮かべる慧春尼のお顔は、決して焼けただれてはいない。大きな歩幅で相模の野山を歩いていく姿は、自信と誇りに満ちている。彼女はその生涯を火定(衆生済度のため自ら焼身すること)で終えたとされている。しかし、燃えさかる炎の中にあってさえその花顔は、仏教を生きるよろこびに輝いているのだ。

 教義や現行の制度に対するフェミニストとしての問いかけは今後も続けていく必要があるだろう。しかしそれと同時に、フェミニズムがひらいた眼によって見えてきた仏教もあるのだ。これからも女性たち、そして男性たちとも、つなぐ手の輪をひろげていきたい。私たちみんなの、未来のために。

 ながい間お読みくださいまして、本当にありがとうございました。近いうちにまた、お目にかかれますことを祈って。合掌