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仏教エンタメ

仏教エンタメ2005/08/25

【 女性と仏教2】寺族


女性と仏教

寺 族

「寺族」という言葉をご存じだろうか。

 私の属する曹洞宗では、簡単に言ってしまえば住職の妻、つまり「お寺のおくさん」のことである。内情を知っている人には今さら説明の必要はないが、寺の雑用(境内や伽藍の清掃、檀家信徒の接待、寺の経理に住職の世話等々)を実際にやっているのは、みんなこの寺族である。ほとんどの寺では手伝いの僧を置くほどの余裕もないから、法要ひとつするにしても、会場の設営から後席の準備まで、すべて寺族がしなければならない。

 私は田舎寺の住職の娘として生まれ、大学に入るまで寺院で生活していたので、このような労働(?)と評価の不平等が、つねづね不満でしかたがなかった。誰が掃除しなくても境内や本堂がきれいに保たれ、湯茶や座布団が自然に湧いてくるわけでもないのに。みんな寺族がやっているのに。それなのに、何で住職ばっかりいばってるんだろう。

 うーん、今考えてみると、これは私が幼くして家事労働論争に対する「萌え!」を自覚した瞬間なのかもしれないが、まあそんなことはどうでも良い。問題は、これらの雑用が寺の業務でありながら「家事」の延長とみなされ、ほとんどの場合賃金評価されない、ということ。一方で、寺はあくまでも宗教法人のものであり、住職家族の「家」にはなり得ない、ということである。

 だいたい、法律上も事実上も妻なんだから、妻、あるいは住職夫人と呼べば良いのである。それなのになぜ「寺族」と呼ぶのか。地方によっては「大黒」あるいは「おばさま」ともいうこの呼称はじつは、妻を妻と呼ばないためにある。なぜか。浄土真宗以外の伝統仏教教団の僧侶は教義上はあくまでも「出家」であり、結婚しないものだからなんである。

 びっくりである。『曹洞宗宗制』宗憲第八章寺族の定義にこうある。「本宗の宗旨を信奉し、寺院に在住する僧侶以外の者を寺族という」、2度びっくりである。

 もちろん、明治五年の太政官布告。あの有名な「僧侶の肉食妻帯勝手たるべし」で、僧侶でも結婚して良いと認められたと、そう言う人も居るかもしれない。しかし、それはあくまでも国がそう認めたということだけのことで、それでは教団としてどうなのかというのは、結婚して良いとも悪いとも、百数十年を経た今になっても、結論が出ていないのである。したがって、結婚は完全に僧侶個人の問題なのだが、妻の労働力がなければ寺院が維持出来ないという都合もあるので、教団としては「知らないよ、勝手にしてよ」とも言い切れず、「寺族」というカテゴリーをむりやりつくって、つじつまを合わせているだけなのである。

 現在、わが宗で「寺族問題」といえば、配偶者である住職の死亡後、寺を出て行かざるを得ない寺族の生活保障をどうするか、というのがスタンダードだ。しかしこれなどは二次的な問題で、本当は「出家」でないのに「出家」であると強弁し、実際の運営はそれに頼り切っている妻の無償労働力を、宗教法人としてはまったく評価しない。そのこと自体が「寺族問題」だと、私は思う。

 寺族問題はしょせん寺院内の利権闘争に過ぎず、性差別の問題とは関係ない、と言われることもある。しかし、戦前の家父長制度をそのまま残した寺院内の家族のあり方は、現実に女性を抑圧しているのだ。

 寺族の中には檀家や信者さんを組織して、地域のボランティアリーダーになっている人も居る。それでいて、その立場が不安定で能力がじゅうぶんに生かされないというのは、社会にとっても仏教にとっても、じつにもったいないことではないだろうか。

合掌


瀬野美佐

せの・みさ●三重県の曹洞宗寺院に生まれる。駒澤大学仏教学部卒業後、曹洞宗宗務庁に勤務。著書(共著)『仏教とジェンダー』『ジェンダーイコールな仏教をめざして』(いずれも朱鷺書房)猫好きの山羊座。アーユス会員。