国際協力の寺
国際協力の寺2026/07/02ツイート
仏共講座#2_2 第2の人生をゼロから始めるときに、寄り添える仕事

2026年2月5日、「仏共講座|お寺とNPOがともに考える多文化共生 #2」を名古屋・東別院にて開催しました(協力:TERA Energy株式会社)。
宗教者とNPOがそれぞれの現場から実践を持ち寄り、「支援」や「共生」をあらためて問い直す場となりました。登壇したのは、曹洞宗・徳林寺前住職の高岡秀暢さん、名古屋難民支援室コーディネーターの羽田野真帆さん、真宗大谷派・圓光寺住職の大東仁さん。それぞれが愛知県を拠点に多文化と向き合ってきた実践を、率直な言葉で語りました。
本レポートでは、羽田野真帆さんの発表をご紹介します。難民とはどのような状況に置かれているのか。そして「ともに暮らす社会」をつくるために何ができるのか。制度の壁に向き合い続けてきた現場の言葉が、参加者に静かな問いを投げかけました。
報告:霍野廣由(僧侶、アーユス、TERA Energy)
「第2の人生をゼロから始めるときに、寄り添える仕事──制度と生活のあいだに立ち、一人ひとりの再出発を支える」
NPO法人名古屋難民支援室・羽田野真帆さんの取り組みから【仏共講座#02レポート2】

「管理」と「保護」、相反する目的が一つの法律に──日本の難民認定制度の構造的な問題
羽田野さんがまず語ったのは、日本の難民受け入れの歴史です。
1970年代後半、ベトナム戦争後のボートピープルが来日したことを契機に、日本は1981年に難民条約へ加入しました。その際、もともとあった「出入国管理令」に難民認定制度が組み込まれ、「出入国管理及び難民認定法」として整備されます。
「出入国管理というのは、怪しい人を入れない、国境を管理するのが目的です。一方、難民認定は、迫害されるかもしれないリスクがある人を保護しようというもの。この2つは本来、相反する目的を持っています。それを一つの法律にまとめてしまったことが、日本の難民認定が厳しいままである背景にあると言われています」──羽田野真帆さん
実際、認められるべき人が何年も申請を繰り返すしかない状況は珍しくありません。報道では「難民申請の繰り返しは乱用だ」という論調も見られますが、羽田野さんはその実態を正面から問い直します。
「難民認定の本来の目的に立ち返れば、迫害されるかもしれない人を誤って追い返すことのほうが、はるかに危険です。管理ばかりが進んでいる今の状況は、とても問題だと思っています」
その言葉の重みは、羽田野さんが実際に見てきた事例から来ています。大学時代のボランティア日本語教室で出会ったウガンダ出身の女性は、行政では難民と認められず、裁判で地方裁判所にも退けられ、高等裁判所でようやく勝訴して難民認定されました。ロヒンギャ出身の方も同様に、地裁では難民とは認められないという判決が出たのち、高裁でようやく難民と認定されました。認められるべき人が、長い年月をかけてようやく認定される。その現実が、日本の制度の現在地を示しています。

孤立という、見えにくい壁──難民が直面する3つの課題
羽田野さんは、難民が日本で直面する課題を3つ挙げました。
一つ目は、難民として認定されるべき人が適切に認められないという問題です。先に述べた通り、行政・司法の両段階でその壁は高く、長期にわたる不認定の状態が続きます。
二つ目は、不安定な在留資格と生活の困難です。在留資格がなければ就労も認められず、収入を得ることができません。国民健康保険にも加入できないため、病院にかかることも困難です。住まいの確保も厳しく、最悪の場合は入管収容施設に送られるリスクもあります。名古屋で起きたウィシュマさんの死亡事件は、こうした状況の一端を社会に知らしめることになりましたが、それ以前から施設内で亡くなった外国人は少なくありませんでした。
三つ目は、孤立しやすさです。難民は計画を立てて移住してきたわけではありません。「とにかく逃げる」という切迫した状況で日本にたどり着きます。本国政府から迫害を受けているため、大使館に助けを求めることができません。同じ出身国のコミュニティを頼ることも、政府関係者が紛れているリスクがあり、慎重にならざるを得ないのです。
「日本語もわからない、日本の習慣もわからない。一番頼りたい”同じ言葉・同じ文化の人”に頼ることもできない。そういう中で、一人で抱え込んで孤立してしまいやすいのが難民です」
さらに、家族と連絡を取ること自体が危険を伴うケースもあります。連絡の様子を当局に知られることで、本国に残る家族が逮捕・拘束されるリスクがあるからです。「家族の安全を守るために、あえて連絡を断つ」という選択をしている人が、今もいます。
書類の一行一行に、命がかかっている──「Door to Asylum Nagoya」の支援実践
名古屋難民支援室 (通称「DAN」) は2012年の設立以来、1000人以上の難民を支援してきました。羽田野さんは設立当初から携わり、コーディネーターとして制度と生活の両面から一人ひとりに寄り添っています。
支援の中心のひとつが、難民申請のための書類作成支援です。難民認定申請書自体は多くの言語で用意されており、最も理解できる言語で提出することができます。ただし、迫害を受けた経緯や将来のリスクを証明するための証拠書類は、基本的にすべて日本語訳を付して提出しなければなりません。出身国の情報、条約の解釈、証拠の集め方──弁護士経験者でさえ一人では対応困難なほどの作業を、当事者が抱えています。年間約100件、20か国以上からの相談に、DANは伴走し続けています。
生活面では、住居の確保、病院への同行、食料支援、学習会の開催など、「衣食住」の底を支える活動を地道に続けてきました。近年はアフガニスタン出身の家族連れが増加し、日本での生活に関する勉強会のニーズも高まっています。

「来てください」の前に、「安心して来られる場」を──共に場をつくるということ
食料支援の活動は、時間をかけて形を変えてきました。当初は安全上の理由から、顔も名前も出さない形での発送が中心でした。しかし今では、難民当事者も発送作業や学習会に参加し、市民と同じ場に立つようになっています。
その変化を支えているのは、細やかなルールの積み重ねです。
「写真撮影をしない、ニックネームを使う、出身国を聞かない、連絡先を交換しない。そういうルールを設けることで、難民の人も安心して参加できる場を少しずつ作ってきました」
共生とは理念だけではなく、具体的な配慮によって育まれるものです。誰かの安全を守るために何が必要かを想像し、形にしていく。その積み重ねの先に、はじめて信頼関係が生まれます。
寺院や宗教者にとっても、ここに示唆があります。「来てください」と呼びかけるだけでなく、「安心して来られる条件」を整えること。顔が見えない人の事情を想像し、場の設計そのものを問い直すこと。そこから、多文化共生の一歩が始まるのかもしれません。
制度のはざまで、今日も伴走する
難民支援は、遠い世界の出来事ではありません。名古屋という地域の中で、今起きている現実です。
制度のはざまで揺れる人に寄り添い、生活を支え、ともに学び、ともに場をつくる。その積み重ねを、羽田野さんはこう表現します。
「難民の方の支援というのは、第2の人生をゼロから始めるときに寄り添える仕事だと思っています。だからこそ、続けられます」
難民を「問題」としてではなく、「第2の人生を始めようとしている人」として見る眼差し。その視点の先に、「ともに暮らす社会」の姿が少しずつ見えてきます。

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羽田野 真帆 (はだの まほ) |
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仏共 (ぶっきょう) 講座 #2 ―お寺とNPOがともに考える多文化共生をめぐる対話シリーズ―
▶︎日時:2026年2月5日 (木) 18:00〜21:30
▶︎ 会場:真宗大谷派 名古屋別院(東別院)
▶︎ 主催:認定NPO法人 アーユス仏教国際協力ネットワーク
▶︎協力:TERA Energy株式会社
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