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特定非営利活動法人アーユス仏教国際協力ネットワーク

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その他の地域2020/09/08

【街の灯トーク#7】カフェ再開を目指して〜命をつないだ食料支援①


カフェ再開を目指して〜命をつないだ食料支援

ゲスト:門田瑠衣子さん(エイズ孤児支援NGOPLAS代表)/ 聞き手:井上団(アーユス仏教国際協力ネットワーク)
とき:2020年7月31日(金)


井上 アーユス街の灯トークは今日で7回目となりますが、今回も素敵なゲストをお招きしています。エイズ孤児支援NGO・PLASの代表理事、門田瑠衣子さんです。

門田 よろしくお願いします。

 

大学院生の時、エイズ孤児と出会う

井上 門田さんはPLASを立ち上げられた方ですが、学生時代のことだったのですか。

門田 そうですね、大学院に行っているときにケニアにボランティアに行く機会がありまして、そこで孤児院を訪ねたところ、ダブルベッドくらいの大きさのベッドに、赤ちゃんみたいに見える10人以上の子どもたちが寝ていました。ほとんどの子がエイズで孤児になったと聞いて、すごく衝撃を受けて、さらにエイズのことで差別されたり、引き取り先がないと聞き、何かしたいと思って日本に戻ってきて立ち上げました。

井上 当時はおひとりで行ったんですか?団体の立ち上げは、仲間を募って?

門田 当時、NICEさんという別のNPOでボランティアをしていて、その学生メンバー7名と立ち上げたんです。写真を見ていただきたいのですが、お金ももちろんないし、経験もなくて情熱だけで立ち上げた感じですね。

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井上 みなさん、ケニアに行かれた方ですか?

門田 設立の7名はそれぞれ、いろいろな国でボランティア経験していました。当時2005年頃は、エイズと子どもの問題は今よりもずっと状況が悪く、いろいろな課題に直面して日本に戻ってきていました。設立メンバーの一人が、ウガンダでボランティアをしているときに「支援してもらえないか」と頼まれて、まずはウガンダから始めてみようということになりました。

井上 最初はお金集めも、組織づくりや運営も大変だったでしょう。

門田 当初は活動の指針や方針もなく立ち上げたので、手探りでした。エイズ孤児がたくさん通っているスラム内の学校への支援が最初だったんですが、子どもたちは学校に通いたいし、子どもに教育が必要だと言ってくれる人もいたけれど、スラムの多くの人は、エイズ孤児には教育は必要ないと思っていて、それに面食らってしまったというか。こちらが「教育って必要だよ」って言っても通じない、一方的に押し付けてもうまくいかない、初めてぶつかった壁はそこでしたね。

井上 なるほど、最初は教育ということですが、どのような活動でしたか。

門田 学校建設でした。青空教室、屋根と柱だけがあるところで勉強していたので、雨が降っても勉強ができるように学校をつくりました。

井上 エイズ孤児のための学校なんですか?

門田 エイズ孤児のためにスラムのお母さんたちが立ち上げて、3分の2くらいがエイズ孤児、3分の1がお父さんもお母さんもいる子どもたちでした。

井上 当初は、頻繁に現地も訪問したのですか?関係づくりはどうされましたか?

門田 私自身は、3か月行って3か月は日本に戻る、ということを2年くらい繰り返しました。他のメンバーも渡航したので、誰かしら切れ目なく常に現場にいるかたちでした。学生メンバーで、休学して半年くらい行ってくれた人もいました。最初は学生の参加が多くて、ボランティアキャンプのようなものを企画したので、春や夏など大学生の休みの期間に多い時だと40人くらいは来てくれていました。

井上 NGOはいくつもあるし、子どもの教育支援をしている団体もたくさんあるなかで、アフリカとかエイズ孤児とかいうキーワードは、学生にとっては馴染みがないと受け取られてしまうように思いますが…

門田 おっしゃるとおり、エイズのことはとても説明が必要なんです。病気のこと、差別のこと、アフリカで、親がエイズで亡くなって孤児になったケースなので、なかなか関心を持ってもらうのは難しいと感じていました。

わかりやすい言葉で自分たちの体験から語ることを大切にしました。マクロな視点からのエイズやエイズ孤児だけでなく、私たちがどんな人に出会って、私たちがどんな気持ちになったかを話すと、一生懸命聞いていただけると実感できました。

井上 立ち上げの2005年当時と今では状況も変わってきていると思いますが、周囲の意識の変化を感じますか?

門田 日本もそうですが、アフリカでの状況が大きく変わっています。2005年当時は、エイズ孤児が「学校に通いたい」と言ったときに、公立の小学校ですら通わせてくれない場合もあったんです。差別もあったし、学校の教室が足りないこともあったし。今、学校の先生が「エイズ孤児だから」という理由で差別すると、大問題になるというくらい人々の意識は変わってきています。

井上 その要因は何でしょう? 国として人権を守ろうという啓発の取り組みがあったんですか?

門田 予防啓発もあります。それから、感染していた場合に薬を無料で得られるようになり、エイズの発症や病気の進行が抑えられるようになりました。その意味でも理解が広がって、「すごく怖い死の病」から、「共に生きる病気」という意識に変わってきているかなと思います。

井上 立ち上げ当時と今で、エイズ孤児の人数などは、どう変化していますか。

門田 世界では当時、1500万人くらいいると言われていたのですが、今は1220万人くらいで、少しずつ減っていて、今後もさらに減っていく可能性があるんじゃないかと思っています。ウガンダやケニアでは100万人くらいだったのが、今は50万人くらいになりました。

 


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