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特定非営利活動法人アーユス仏教国際協力ネットワーク

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その他の地域2017/02/28

映画が語る、国際協力・歴史・宗教


映画が語る、国際協力・歴史・宗教
熊岡路矢さんに聞く、現場と映画のリアリティ

 映画は感動や楽しさを与えてくれる一大エンターテイメント。中には、人生の道標となるものから、歴史観や世界観を変える力を持つものなど、私たちの人生に影響を与えてくれる作品がたくさんあります。
 最近は、お寺や国際協力団体も映画上映会を開催するところが多く、なかなか他ではみることができない貴重な映像上映もされているようです。また、上映会のあとに感想を話し合って、感動を分かち合うのも映画上映会の楽しみのひとつです。
 実は、アーユスは映画好きが多く集まっていて、映画談義が始まると話が尽きません。今回は、その映画好きの理事の一人熊岡路矢さんから、映画の魅力や見方を国際協力の経験を踏まえてお話いただきました。熊岡さんは、日本国際ボランティアセンター(JVC)で長年にわたり国際協力の現場で活躍されたあと、日本映画大学で教鞭を執っている、まさに映画好き国際協力エキスパートです。

戦場を描かない戦争映画
熊岡 僕はベトナム戦争時代の人間で、ベトナム、カンボジア、ラオスの国と人々を身近に感じていました。ずっと現地に行きたいと思いつつも、1975年にサイゴン(ホーチミン市)が陥落し、プノンペンはポル・ポト(※1)に制圧されると、行きたくても行けなくなってしまった。でも周りに安く世界一周をするユニークな人がたくさんいて、ひとりは『なんでも鑑定団』に出ていた「世界ケチケチ旅行研究会」代表の岩崎さん。スウェーデンあたりで皿洗いをすると、アフリカをまわってニューヨークまで行けて、ニューヨークで皿洗いをすると、北米はもちろん南米を回って日本に帰ってこられると。それで70年代の後半にヨーロッパまで行ったわけです。
 パリのフランス人の家で、陽気なカンボジア人留学生3人と出会ったのですが、まさにポル・ポト時代さ中で家族と連絡も取れない、死んでいるかもしれないと、彼らは時々落ち込んでいました。自分たちも大使館の要請に応じて帰国したら殺されるだろうとも言っていた。当時、中国はベトナムよりもポル・ポト政権を支持していて、日本メディアもその影響も受けていたため、僕はまさか、ポル・ポト派といえども、自分の国の人を殺すなんて思わなかった。けれど、結果的には彼らが正しかった。僕は1977年のパリで初めてカンボジアのリアリティを感じることになったわけです。ちなみに彼ら自身は当時帰国せず、現在はカンボジアとフランスを往復しながら、ビジネスをしています。
 結局、ポル・ポト政権がプノンペンから撤退した後になって、まずタイで難民救援に参加し、その後破壊されつくしたカンボジア国内に行くことになり、日本を離れる前の1979年、最後に観た映画が『地獄の黙示録』(※2)でした。
 あの映画に対する僕の評価は二転三転していて、最初に観た時は、あの映画には「現実」が描かれていると思っていたけれど、実際に現地に行ってみるとそうではないと思うようになりました。さらにその後、約10年後に見直してみると、マーロン・ブランド演じるカーツ大佐とその小帝国は、カンボジアの闇の部分を表現しているようにも感じるようになりました。メコン川の上流、カーツ大佐の領土の人々は、山(プノン)民のような感じで、現実的な感じはしませんでしたが。
 いまだにアンコール王朝時代(9~15世紀)のことがよく理解出来てはいないのですが、権力支配の重くて暗いエネルギーが満ちているような印象があります。故シハヌーク国王は、その「明」の部分をある程度代表し、ポル・ポトは、その「暗黒」の部分を表現しているような。現代カンボジアでは、人々は、アンコールの栄華と、1970年代以降地獄の底まで落ちてしまった自国の大きなギャップのなかで、傷ついたプライドの問題もふくめ、表現しきれない重さと暗さに苦しんでいるように見えました。
 誤解を怖れずにいえば、カンボジアでは、一旦ケンカになると激怒して二度と口をきかないという感じになることがあります。職場でいえば、批判されたりすると、翌日何も言わずに去っていくような。
 ある特派員によると、プノンペンでは突然、「おまえのビザは更新しないから出ていけ」と言われて、記者が理由を尋ねると「もう追放は決まっているんだから、今更理由を聞いてもしょうがないだろ」という答が返ってくるらしいんです。うまく表現出来ませんが、カンボジア人の理屈ではなくて、胸の中にある情念みたいものを、意外な形で感じさせたのが、自分にとっては『地獄の黙示録』でした。
枝木 熊岡さんは、紛争や貧困の現実を観てこられたのですが、それをフィクションという形で描き直されたものを観ると、ギャップを感じますか。フィクションだからこそ真実が描かれると感じることもあるのでしょうか。
熊岡 現実も事実も、決して一様なものではないと思います。映画は、監督の解釈と指導、俳優の演技を通してですが、本質を描けることももちろんあります。またメディアが異なるので、原作と異なってくるのも当然です。
 メル・ギブソン主演の『ワンス・アンド・フォーエバー』(※3)も、実話に基づいた映画。戦争初期1965年、激戦地に若いインテリ青年がカメラ一個持ってきて、ハル・ムーア中佐(メル・ギブソン)率いる大隊と一緒に動く話。戦場だけでなく、ムーア中佐が残した奥さんと子ども(一つの町全体に軍関係者が居住)の話をところどころに挿入していて、戦争当初は、兵士・軍人が戦死すると、軍の偉い人が来て戦死を告げていたのが、そのうち郵便屋さんに任せるようになった。窓から、あっ郵便屋さんがきた、どこのうちにいくんだろって奥さんたちがみている。その場面が数回重なって、あたかもムーアが死んだことを告げるような形で郵便屋が映る。結局は、ある日ムーアが本当に帰ってきて、家族が抱き合って終わるんだけど、本国で兵士を待つ家族を描くことで戦争のリアリティを伝えていました。同時に、どうしてもアメリカ側の視点が強くなりがちになりますが、ベトナム側兵士・将校側の戦闘における苦しさや仲間を失う悲しさを描き、持っている写真や手帳を通して、家族への思いも客観的に表現していました。
枝木 熊岡さん一押しの戦争映画は?
熊岡 『かくも長き不在』(※4)。この映画には戦場も戦闘もでてこないけれど、非常に深い印象を与える映画です。中年のマダム(アリダ・ヴァリ)が小さなレストランを開きながら、10数年前にゲシュタポに逮捕されたまま行方不明の夫を待っている。そこに、頭に怪我をしていて記憶を失った、夫と同じくらいの年齢の男性がくるんです・・・。最後は、悲しいけれど余韻のある終わり方で、胸にジーンときます。佐藤忠男氏(日本映画大学学長)によると、故今村昌平監督が最も好きな映画の一つだったようです。
 あとは、第一次世界大戦を描いた、『まぼろしの市街戦』(※5)。スパイと爆弾解除でたった一人、戦場の村に派遣された英国兵士、ブランピック二等兵(アラン・ベイツ)が、偽装で精神病院に隠れたり、いろいろ変わった人とつきあうようになり、最後は戦争をやる人より、精神病院にいる人々の方がよっぽどまともだということに気がつくという映画。これはエンディングが2つあるらしくて、僕がみたのは主役のアラン・ベイツが、鳥と鳥かごだけを持って、全裸で精神病院に戻るというものでした。
 戦争映画であっても戦場や戦闘を一切描かずに戦争を感じさせる、すごい映画が複数あります。『第三の男』も、第二次世界大戦後の混乱と腐敗の占領下ウィーンを描くことで戦争を感じさせています。これもとても感動的な映画です。学生に見せたら喜んで、多くの感想が手元に届きました。(『第三の男』の日本公開は、占領の問題があったので、数年遅れました。)

ロレンスの魅力
枝木 映画はそこから社会や歴史などいろいろなことが読み取れると思うのですが、今度上映会を開く『アラビアのロレンス』(※6)は熊岡さんにとっていかがでしょうか。
熊岡 高校生の頃、砂漠の美しさもあり、素直にかっこいいと思って観に行きました。よくよく観ると、ロレンスは単純なヒーローとしてではなくて、彼のもっている複雑で相矛盾しているところや尋常でないところも描かれています。
 事実を基にした上質のエンターテイメントで当然ロレンスがヒーローですが、アラブ側から観たら、どうなのかというのは常に気になる視点です。リーン監督は、第一次世界大戦前後の歴史と人、「サイクス・ピコ」条約など英国の三枚舌外交をふくめ、重層的に描いていると思いました。現在の、イラク・シリア戦争やパレスチナ紛争の原点にも触れています。
 印象的なのは、トルコ軍があるアラブの村を皆殺しにした後、その村の出身の男が復讐を叫んで、一人で突撃し撃たれたのをロレンスがみて、感情がぐわっと高まって、本当は早くダマスカスに行かないといけないんだけど、「捕虜は必要ない、皆殺しだ」と叫んで逃亡していくトルコ軍を追撃する場面。ほかには、彼が一度は命を助けた男を殺さないといけなくなり、それを後で振り返り、「(撃つこと=殺すことを)楽しんだ」と表すところ。あとはよせばいいのに、トルコ軍の拠点の街を偵察に行って捕まり、上半身裸にされて鞭打たれるところ、それをトルコ軍のベイ将軍が咳をしながらのぞき見している何とも嫌らしい場面など。
 ロレンスはアラブの現実から逃げたくなるときは、イギリス軍の制服を着て英国人となる。アラブへの思いが高まると、「アラブの英雄」としての服装を身にまとう。3時間40分の長編だけど、ロレンス以外の多くの登場人物―アラブ人、英国人、米国人―も特徴的に表現され、あの時代のアラブと世界も凝縮されて描かれている圧倒的に美しく内容の豊かな映画。

宗教・政治・映画・NGO
枝木『スポットライト』(※7)という映画では、ボストングローブという新聞社が、神父による子どもへの性虐待の事実を暴き、宗教が組織になったが故に犯している罪が如実に描かれていました。「スキャンダルだけを集めても、神父が謝って終わるだけだ。これを断っていくためには、これが隠蔽されてきた組織的な部分を追う必要がある」と、それを追求していく。聖職者が、弱い立場の子どもを自分の欲求のために力で押さえてしまう理不尽さなど、宗教の怖さを感じました。
熊岡 もとの宗教理念と、組織化された宗教(団体)の落差は常に大きく、時間が経過するほど、その矛盾はさらに開く。またもともとの政治思想とずれていく、組織された政治集団の怖さもあるでしょう。連合赤軍事件もそうだったけれど、当初の目的からどんどん外れて組織内の支配・被支配の関係や上下の関係のみが厳しくなり、権力と抑圧の自己目的化が行われた。政治的に「理由付け」が出来れば、人を殺せる、仲間も殺せるというのは恐ろしい。
 『カラマーゾフの兄弟』(※8)の「大審問官」の部分。あまりにも組織された宗教は、創設者や創設の理念と異なり、変容していく。大審問官が地上に戻ったイエスに言う。「こういうところに出て来ないでくれ。民衆の教化や支配は、自分たち=教会が十分うまくやっているから。あなたが来て原理的なことを言われると、やりにくくてしょうがない」みたいなことを。守る対象がもとの理念ではなく、組織自体、組織の自己増殖になっていくのは、宗教も政治も同じだろうし、NGOもそうかもしれません。 (文責:枝木美香)


*このインタビューは、3月4日に行う「アラビアのロレンスの上映会とトークイベント」に先立ち、スピーカーのお一人の熊岡さんからお話を伺ったものです。ここでは掲載しきれず止む得ず割愛したものの、ほかにもいろいろと刺激的なお話がたくさんでてきました。この続きは、3月4日の会場でぜひ伺いたいと思いますので、ぜひみなさまも会場にお越し下さい。


熊岡路矢さん アーユス理事、日本国際ボランティアセンター(JVC)顧問、日本映画大学教員、難民審査参与員(法務省)1980年タイ国に赴きカンボジア難民キャンプで活動。JVC創設メンバーの1人。以来、JVCでパレスチナ、南アフリカ、北朝鮮、イラク等での活動を展開し、1995年〜2006年は代表を努めた。主著として、『カンボジア最前線』(岩波新書)、『戦争の現場で考えた空爆、占領、難民』(彩流社)。


 

※1 ポル・ポト カンボジアの政治家。急進的な共産主義・民族主義グループであるクメール・ルージュを率いて、1975年〜79年まで独裁政権を敷き、知識人を中心に大虐殺を指揮したことで知られている。79年から和平協定が結ばれた91年まで、民主カンプチアの首相として、ベトナムに支援されたプノンペン政権との内戦を続けた。
※2 地獄の黙示録 フランシス・フォード・コッポラ監督。1979年制作。ベトナム戦争下、ジャングルの奥に王国を築いたカーツ大佐の暗殺命令を受けたウィラード大尉。部下と共に川を下り、王国に辿り着く・・・。戦争の狂気が描かれている大作。
※3 ワンス・アンド・フォーエバー ランドール・ウォレス監督。2002年制作。
※4 かくも長き不在 アンリ・コルピ監督。1964年制作。
※5 まぼろしの市街戦 フィリップ・ド・ブロカ監督。1966年制作。
※6 アラビアのロレンス デイヴィッド・リーン監督。1962年制作。
※7 スポットライト トーマス・マッカーシー監督。2015年制作。
※8 カラマーゾフの兄弟 フョードル・ドスとエフキーによる小説。何度も各地で映画化されている。