文字サイズ

特定非営利活動法人アーユス仏教国際協力ネットワーク

会員になるには

平和人権/アジア

平和人権/アジア2016/12/26

ダッカ事件その後3:NGOの役割


639x424

 7月にダッカ襲撃事件が起きたあと、アーユスのパートナー団体である「アジア砒素ネットワーク」の石山民子さんは、この事件をめぐって様々な問題を提示してくれています。今回は、連載の最終回となりますが、最近バングラデシュを実際に訪問して見て聞いて感じた事を元に書かれています。あの事件を受けて地域の取り組みが生まれ、またNGOへの期待も高まっています。なによりも、バングラデシュが事件を深刻に受け止めつつ、かつそれをバネに前に進んでいる姿には心強いものを感じます。


7か月ぶりのバングラデシュ
 12月、あの凄惨な7月1日の事件以後初めて、7か月ぶりにバングラデシュを訪問した。この間、バングラデシュはどうなったのだろうといつも考えていた。今回は、私が実際行って、見てきたことを、書き連ねてみたい。
 日本の報道等でも取り上げられている通り、バングラデシュ政府は、過激派組織の摘発活動を全力で進めてきた。複数回にわたる掃討作戦の結果、バングラデシュの過激派組織は多くの資金も人も失い、もはや大きな事件を起こす力を残していないと伝えられている。政府はまた全国に各地域の平和維持を目的とした委員会(以下「平和委員会」)を立ち上げ、地域ぐるみであやしい人の動きがないかの管理体制を強めている。それは、大学生の下宿先と思って貸していた農村部の家が、7・1の実行犯のアジトとなっていたことを受けての対策だ。
 アジア砒素ネットワークバングラデシュの古いスタッフのラジュさんも、ジョソール県ジョソール市内の地元で、平和委員会の事務局長を引き受けていた。代表には、45年前の独立戦争の時の独立戦士(フリーダムファイター)が選出された。ラジュさんが選ばれた理由は、地域で信頼があり、政府機関・警察・軍など外部とのつながりも強く、バイクを使って夜でも身軽に動け、NGOでのガバナンスや人材育成に取り組んできた経験がある、などがあげられる。テロ事件後すぐ、2016年7月に設立されてから、事務所を構え、ほぼ毎日夜遅くまでそこに詰めているそうだ。
「私の地域には、持ち家、貸家を合わせて、約2000人が暮していますが、誰の家がどこにあるか、今は聞かれたらすぐに答えられます。この活動が始まる前、自分は全く知りませんでした。あるとき、それまで見かけなかったひげを生やした若い男性が地域をうろつくのを見かけるようになりました。すぐに『あの若者は誰?』と他の人に尋ねました。すると、『どこどこの家の息子だ、ダッカで勉強しているが、下宿が閉まっているので実家に帰ってきている』との答えが返ってきました。私はすぐに本人に会いに行きました。話をしてみてもおかしなところもなく、確かにこの地域の出身の若者だと認識できました。」
 ただし、この委員会の評判が全国的に良いわけではない。与党アワミリーグのメンバーしかいないという批判もある。またラジュさんの地域ではよく機能しているが、他の地域ではほとんど機能していないという話も聞いた。行き過ぎた摘発作戦によって、関係のない若者たちがブラックリストに挙げられ不利益を被るケースも多発したとも聞く。疑わしい人や動きを迅速に通報するのは致し方ないとして、それが間違いと確認した時には、誤解が解けたことを明確にし、謝罪することも重要だ。最近になって、嘘の通報をしたものに対して罰を与えることを決められたそうである。

NGOの役割
 多くのNGO関係者は、NGOがテロ対策に巻き込まれることでのリスクは大きいととらえているようで、残念ながらこれまでのところNGOの目立った行動はない。ただ、政府が過激派グループの摘発活動とは別に、健全な若者の育成のための長期的視点にたった対策の受容性を訴えており、それに対してNGOが協力できると考える人は多いようだった。
7月の事件で実行犯3名が通っていたノースサウス大学はバングラデシュでトップレベルの私立大学だが、そこに通う生徒たちの多くが初等教育から英語で学び、バングラデシュの文化を学ぶ機会もなく、バングラデシュの世間から全く隔離されていたことは問題視された。
 もしその子どもたちが、バングラデシュの植民地時代や独立戦争の歴史を学び、親たちが様々な苦労を乗り越えて来たことを聞き、「黄金のベンガル」と呼ばれる豊穣のデルタに育まれた文化を誇り、今もすぐ隣に貧困にあえぐ人がいることを思いやり、それを解決する術を考え、そのために自分の人生をささげる決心をしていたなら、過激派思想に流されることもなかったはずだ。
 テロリストを相手にNGOは何もできないと否定的な人もいるが、この視点にたったとき、NGOが様々な貢献ができるそうなことが見えてくる。
「バングラデシュに生きる子どもたちも、日本に生きる私たちの子どもたちも過激派思想に流され、人生を無にしてしまう危険は同じ。子どもたちがしっかりとした根っこをはって、あやまった思想に惑わされない人間になれるよう、大人として役割を果たさなければいけない。」と前置きした後、そのために何ができるか、信頼できる仲間たちと語り合った。
ある人は子どもたちが社会に貢献できる場をもっと増やしたい、と。ある人は教育を受けた次世代が環境にやさしい農業に参加できるよう支援したい、と。また、ある人は都市部の子どもたちを田舎に連れていて様々な体験をさせたい、と。どれも今までのNGOの活動の延長にあった。
 持続可能な未来を子どもたちの瞳に映し出すこと。このことが、これからの時代のNGOの役割の一つになると話を聞きながら考えていた。

バングラデシュは元気でした!
 7月1日の事件後は、都市も農村も大きなショックを受け、友人の言葉を借りれば「国中が麻痺していた」そうだ。しかし、今回の滞在中、多くのバングラデシュ人が宗教や文化の多様性を尊重し、バングラデシュ人としてのアイデンティティを誇りにし、町は活気にあふれ、社会貢献の時間を大切にする、私が知っていたバングラデシュを目にすることができた。私たちが支援している保健プロジェクトでも女性の運動グループが増えていて、女性たちが自分の健康づくりに取り組む機会が奪われていないことも確認することができた。
 日本人が自由に旅することができる日はまだ先になりそうだが、バングラデシュ人の合言葉「どんな困難にも負けない」を信じ、これからもこの国に寄り添っていきたい。(石山民子)(完)