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特定非営利活動法人アーユス仏教国際協力ネットワーク

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平和人権/アジア

平和人権/アジア2016/05/31

私たちはこの村に残って頑張るから、忘れないで欲しい


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カトマンズ郡キルティプール・発災直後、宮原カトマンズ事務所長

 2015年5月15日 「ネパール大地震復校支援トーク」より 会場:金剛院(豊島区)
 アーユスはネパール大地震緊急・復興支援に対し募金活動を行ったところ、合計3,792,571円もお寄せいただくこととなりました。皆様のお志は、「シャプラニール=市民による海外協力の会(以下、シャプラニール)」、「PHD協会」、「ムラのミライ」の活動費として生かさせていただきました。このたび、シャプラニールと共に活動報告会を実施しましたので、その報告をお届けします。


 「目の前に、ビニールシートがない、お米が無いという人がいる。友だちからは、どこどこの村に食料を届けてくれと頼まれる。親族からも頼まれる。個人的にはもちろん支援しましたが、シャプラニールという組織として誰を支援するのかを決めないといけなかった。目の前にいる人たちに謝っても、組織としての決断をしないといけない。辛い時期でした」

 昨年の5月、ネパールはマグニチュード7.8の大地震に襲われ、甚大なる被害を被った。ネパールに事務所がある、シャプラニール=市民による海外協力の会(以下、シャプラニール)の事務所長である宮原麻季さんは、地震発生時に、路面店に腰掛けて、ネパール人の婚約者とまさに結婚する手続きを取る書類を書いていたという。地面がひび割れ、情報が錯綜する中、宮原さんは途方に暮れつつも、シャプラニール・カトマンズ事務所長として、そしてネパールに家族を持つ1人の人間として、緊急救援を開始することを決定した。

ヌワコット郡・緊急救援物資の引き渡し

ヌワコット郡・緊急救援物資の引き渡し

 シャプラニールとしては、活動地と支援内容を決めたあとは、それに従って支援を行う。もちろん、状況が時々刻々と変わる中、活動内容は柔軟に変更していかないといけない。当初は、火を使わなくてもいいビスケットなどの食料を配付したが、住民が屋外で煮炊きを始めたのを知ると、豆や米などの日常食へと変更し、これは後々も感謝されたと聞く。
 しかし、宮原さんは、当時の自分の判断が正しかったのか今でも心に引っかかっているという。目の前で食料がなくて困っている人に手を差し伸べられなかった、ごめんなさいと知人や親族から寄せられた要望を断らなくてはいけなかった。ご自身も被災しながら、時間との勝負で現場判断が求められたのは、さぞかし苦しいことだったと思う。
 国際協力NGOスタッフは、外部の人間であるが故に、よくも悪くも地域社会との距離がある。しがらみが薄いとも言える。しかし、宮原さんのように地域社会に身の半分を埋めた人は、様々な現実と向き合うことになり、嫌われても仕方ないような選択をせざるを得ないこともあるだろう。しかし、それだけネパールの地域社会が抱えるニーズや課題に直面しながら支援活動ができたのだろうとも言えるのではないか。

ヌワコット郡・全壊した自宅でたたずむ女性

ヌワコット郡・全壊した自宅でたたずむ女性

 この大地震では、8891名の方が亡くなり、22,309名の方が負傷した。東日本大震災と比べると、死傷者の数は半分以下だが、実は全壊家屋数はネパールで605,254棟と、東日本大震災の時の127,279棟よりも圧倒的に多かった。これは、日本には耐震基準がありそれを守る社会がある一方で、ネパールではまだ防災システムが行き渡っていないことを表している。政府の方針で、災害対策委員会を各自治体に設置しておくことになってはいたが、実際は設置していなかったところが多く、緊急救援をしながらの委員会づくりになったそうだ。そんな中、社会の歪みを如実に感じると宮原さんは語る。
 「ネパールにはいろいろな課題があります。土地の権利書を持っていない人がいる、過疎化も進んでいる。未だに文字の読み書きができない人がいる。特に少数民族はそれぞれの言葉をしゃべることができても、ネパール語になると弱い場合がある。田舎から出てカトマンズのスラムで暮らす出稼ぎ労働者の問題も大きい。そういう様々な社会問題があっても、これまでどうにかつじつまをあわせ、後回しにしてきたために、今回の震災で全てが表出したのではないでしょうか。
 今、ネパールでは復興という言葉で住宅再建が進んでいます。しかし、被災していても文字が読めないために支援を受けられずにいる人がいる。支援から取り残される人たちがいることの学びは、今後、地域の防災力を高めることにつながると感じています」

 シャプラニールは、これらの教訓を元に、「地域のいのちを守る復興&防災プロジェクト」を始めようとしている。行政の力が十分に発揮できないのであれば、地域の人たち自らが防災力をつけていくことが重要と考え、防災リーダーの育成とコミュニティセンター支援を計画している。1つには災害が起きても地域の人たちがその地域の資源を知り、どこにどういう人たちが住んでいるのか(高齢者や障がい者を含めて)を知ることで、自分たちで自分たちの地域を守ることができるようになることをめざしている。外部の人が作った災害マニュアルがいつでもどこでも使えるわけではない。事実、今回の震災でも、小学生が外国のNGOに教えられた防災マニュアルに従って、地震が起きた時にせっかく外にいたにもかかわらず、家の中に戻って机の下にもぐり、結果下敷きになって亡くなったという悲しい事件が数件起きた。その場その場で安全行動が判断出来る力は、外から与えられてできることではないのだろう。

金剛院で報告をする宮原さん

金剛院で報告をする宮原さん

 そして、コミュニティセンター。もともとシャプラニールが東日本大震災後にいわき市で実施してきた活動に着想を得て始まったものだ。センターは防災ラジオ局内につくり、既に仮設住宅に住んでいる高齢者や子どもが集まってくつろぎ、宿題をする場所となっている。またそれまで健常者の人たちとは交流がなかった視覚障害の人が、センターに来ることで健常者と知り合い、新聞を読んでもらうなどの交流から共にイベント開催など活動の輪が広がってきているとも聞く。
 そしてラジオ局のスタッフと地域住民の距離が近くなったのは、大きな進歩だろう。それまでも、ラジオ局のスタッフは住民インタビューなどを行って、できる限り地域の声を拾うことに努めていた。しかし、村のエリートであるラジオ局スタッフと、学校を出ていない農民の間には隔たりがあったが、センターで雑談を交わすうちに本音トークができるようになったという。コミュニティラジオが、コミュニティにより近づいたものになった。

 お話の最後に見せてくれた動画には、最大余震が襲った村の女子が数人出ていた。地震の後、村の女の子がインドに売られる人身売買が増えたこともあり、それを防ぐために彼女達は学校に行こうと呼びかける歌を歌っていた。彼女達自身、以前は、いずれ都会に出て働きたいと思っていたという。しかし、今回の地震が起きて、彼女達が残って頑張らなければどうするんだと思うようになった。「私たちは、この村で頑張るから忘れないで欲しい」というメッセージは、歌声と共に私たちの心に響いてきた。

 地震などの大規模災害が起きたとき、社会がそれまで抱えていながら蓋をして見て見ぬ振りをしてきた問題が表出するのは、国を超えて共通なことだ。日本のように災害対策がしっかりしていると思われている場所でも、原発事故が起き、災害弱者は出てくる。
 そして、できあがったマニュアルだけを頼るのではなく、その環境や社会に沿った安全行動が取れる力を身につけることの大切さは、私たちに日本人にとっても大きな課題だ。
 震災直後は、ニュース報道も多く関心が向けられていた被災地のこと。そこで起きていることはすぐには全て治まらない。それは私たちの社会をみていてもわかることだ。

 シャプラニール=市民による海外協力の会、ネパール地震復興支援

宮原麻季 
 民間企業勤務を経て2010年に国際協力事業団(JICA)青年海外協力隊にて ネパールへ赴任。2012年7月にシャプラニールに入職。2012年11月よりネパール・ カトマンズ事務所長。2016年4月に帰任予定。