国際協力の寺
国際協力の寺2026/07/23ツイート
仏共講座#2_4 「ともにある」ことから、共生は始まる

2026年2月5日、「仏共講座|お寺とNPOがともに考える多文化共生 #2」を名古屋・東別院にて開催しました(協力:TERA Energy株式会社)。
高岡秀暢さん(徳林寺元住職)、羽田野真帆さん(名古屋難民支援室)、大東仁さん(圓光寺住職)による話題提供のあと、三者によるトークセッションが行われました。「支援する側/される側」という線引きをどう超えるか。「死なねばならない」という言葉が呼び起こした、命と平和をめぐる深い対話が展開されました。本レポートでは、そのトークセッションの模様をお届けします。
報告:霍野廣由(僧侶、アーユス、TERA Energy)
「ともにある」ことから、共生は始まる
――三者の対話から浮かび上がった、平等と平和の原点
トークセッションレポート【仏共講座レポート04】

トークセッション
「付き合いを続けること」しかない
――垣根を溶かすのは、啓発ではなく関係の積み重ね
トークセッションは、モデレーターから羽田野さんへの問いかけから始まりました。「頭では、難民の方を差別してはいけないとわかっている。でも、実際にその方と接したとき、無意識の思い込みが働いてしまうことがあるのではないか。地域の方との交流の場を作っているのは、その垣根を溶かしていくためなのでしょうか」
羽田野さんは、その問いに正直に向き合いました。実は長い間、難民の方を講演会や市民活動の場に連れ出すことには慎重だったといいます。顔を出す、名前を出す、同じ場に立つ——それ自体が、安全上のリスクになりうる。だから「来てください」と言えなかった。
転機になったのは、食料支援活動を通じて地域の市民活動家たちと出会ったことでした。
「難民の人を”支援される側の対象”としてだけでなく、一緒に地域の人として活動していこうという気持ちが、私自身の中でも育ってきました」――羽田野真帆さん
支援団体の世界には、「For Refugees(難民のために)」と「With Refugees(難民とともに)」という2つの考え方があります。羽田野さんはこれまで「For」の立場を基本にしてきましたが、「With」の実践を重ねる中で、その両方が接点を持てるのではないかと、今まさに模索していると語りました。
では、その垣根を溶かすために大切なことは何か。高岡さんはこう答えます。
「付き合いを続けることしかないと思います。頭では平等だとわかっている。でも、それが実践できない。だから、しつこく付き合い続けることが一番大事だと思います」――高岡秀暢さん
差別や偏見は、一度の啓発でなくなるものではありません。「あの時、あの人はこんな顔をしていた」「こういう場面で、あなたはこう動いた」——そういう積み重ねの中でしか、本当の意味での相互理解は生まれない。「同じ釜の飯を食う」という言葉が、ここで自然に浮かび上がりました。
「国」というカテゴリーの手前に、何があるか
大東さんは、三者の発表に共通する問題意識をこう整理しました。
「私たちは普段、『国』というものを当たり前のように考えていますが、世界がたまたま国という形に分かれているだけで、そこに本当に正当性があるのかということを問い直そうとしている。それが、お三人の共通点ではないかと思います」――大東仁さん
国籍によって「外国人」が生まれ、違う扱いを受ける。「一殺多生」の論理が少数を切り捨てることを正当化する。難民が「保護すべき人」ではなく「管理すべき対象」として扱われる——これらはすべて、あるカテゴリーによって命を差別することにつながっています。
高岡さんの徳林寺に7〜8か国の人が集まっていても、誰も国籍を意識しない場が生まれていたのは、まさにそのカテゴリーが機能しなくなった状態ともいえます。理念として「多文化共生」を掲げるよりも前に、ともに食事をし、ともに働き、ともにいる時間を積み重ねること——その先にこそ、カテゴリーを超えた関係が育まれる。三者の語りから、そのことが伝わってきました。

高岡さんが住職を務めていた徳林寺には、一時8か国の人たちが身を寄せていた
「死なねばならない」――命の根本から共生を問う
トークセッション終盤、参加者から「大東さんの『死なねばならない』という言葉が衝撃的だった。どういう意味か聞かせてほしい」という問いが投げかけられました。
大東さんは、葬儀に携わってきた僧侶として、「死」への向き合い方をこう語りました。
「私たちは死んでいく存在であり、自分で死んでいかねばなりません。葬儀に行くたびに思うのは、『よかった、殺されていないんだ』ということです。我々は死ぬ。でも、それは自分の命を自分で全うすること。他者の力によって命を奪われることとは、まったく違います」――大東仁さん
交通事故で亡くなった方の葬儀には、悲しみだけでなく、強い怒りが遺族の中に宿っている。「殺しやがって」という感情は、死の悲しみとは別の次元にある。だからこそ、「自分で死んでいける」ということ——他者に命を奪われることなく、自分の人生を全うできること——は、平和の原点に他ならない、と大東さんは語ります。
「私は殺されたくない、自分で死んでいくんだ、というのが、平和という大きな言葉の前の、スタート地点ではないかと思っています」――大東仁さん

「他者に命を奪われることなく、自分の人生を全うできることは、平和の原点」と語る圓光寺の大東仁さん
この言葉を受けて、羽田野さんは静かに応答しました。
「難民の方々も、自分で死んでいくところまでサポートできることが、もしかすると難民支援の一つの到達点かもしれない。誰かに殺される、脅かされる、そこから解放されて、自分の人生を自分で全うしていける。そこまで寄り添える支援でありたいと思います」――羽田野真帆さん
支援とは、単に命をつなぐことではなく、尊厳を取り戻す営みである——その視点が、この対話から浮かび上がりました。
高岡さんも、仏教における「死」と「涅槃」の関係を静かに語りました。仏教では死は「涅槃」——苦しみからの解放として捉えられます。「どう死ぬか」ではなく「どう生き、どう死んでいくか」が問われる。そこには、他者の力で命を奪われることへの根本的な抵抗があり、同時に、命を全うしていくことへの深い肯定がある、と。
戦争、難民、差別——それぞれ異なる現場から語られた三者の実践が、「自分の命を自分で全うできる社会」という一点でつながった瞬間でした。

「誰かに命を脅かされることから解放されて、人生を全うするところまで寄り添える支援でありたい」と羽田野さん
排外主義と戦争は、地続きである――アーユス事務局からの問題提起
閉会にあたり、主催者アーユス仏教国際協力ネットワーク事務局から、国内外の状況報告がありました。
「イスラエルとパレスチナの問題を見ても、『相手は動物だ』と思わせることで殺すことができる。異質なものを排除することが、戦争の動機の一つになっている。今の日本でも、外国人に対して同様のことが起きていると感じています。多文化共生の問題と平和の問題は、本当につながっています」――アーユス事務局
埼玉県川口市では、クルド人住民が排外主義的な言動にさらされており、自宅前を写真に撮られSNSに上げられることで生活を脅かされているといいます。「いくら平和活動をしたくても、外に出れば顔写真を撮られて身の危険につながる」——それは、戦地で起きていることと地続きの問題です。
大東さんが「一殺多生」の論理の問題として指摘したこと——少数を切り捨て、異質なものを排除する発想——は、過去の戦時中の話でも、遠い国の話でもない。地域の多文化共生の取り組みは、平和運動そのものである。そのことをあらためて確認し合う言葉でした。
「36年間、世の中はちっとも平和になっていない。それでも続ける」
――クロージング、それぞれの一言
最後に、三者がそれぞれ締めの言葉を述べました。
大東さんはこう言い切りました。
「36年間、平和展をやってきて、世の中はちっとも平和になっていません。無駄かもしれない。でも、これからも続けていきたい。今日は、高岡さんと羽田野さんのお話を聞いて、穏やかであたたかい実践を知ることができ、大変感動しました」――大東仁さん
羽田野さんは、原点を振り返りながらこう語りました。
「難民申請をしても認められない。専門家がついても認められない。そういう状況の中で、でも少しずつ社会は変わってきている。社会的に弱い立場に置かれている人たちと接することで、気づかされることが多い。それを考え続けていきたいと思います」――羽田野真帆さん
高岡さんは、静かに、しかし確かな言葉で語りました。
「私たちの命の根本には、平和を祈り、長く生きていくことへの願いがある。お釈迦様もその根本から言葉を残してくださった。その願いは必ず実現すると信じ続けることが大事だと思います」――高岡秀暢さん

私たちの現場でできること
この夜の対話から見えてきたのは、次のような実践のヒントです。
「支援する側/される側」という固定した関係を問い直し、「ともにいる」関係へ
理念より先に、付き合いを続け、同じ場に居続ける
「安心して来られる場」の設計を、細かく丁寧に積み重ねる
命の尊厳という根本に立ち返り、排外的な言説に加担していないか省みる
「同じ釜の飯を食う」「付き合いを続けること」「自分の命を自分で全うできる社会」——この夜、東別院の一室で語られた言葉たちは、どれも大きな理念ではなく、日々の具体的な実践から生まれたものでした。多文化共生は特別な専門分野ではなく、寺院活動や地域活動の延長線上にあります。問いを持ち続けること、関わり続けること。その積み重ねが、社会を少しずつ変えていく力になると、三者の語りは静かに教えてくれました。
|
登壇者プロフィール 高岡 秀暢(たかおか しゅうちょう) 羽田野 真帆(はだの まほ) 大東 仁(だいとう ひとし) |
ほかの仏共講座#2レポート 予定▶ 仏共講座#2レポート1 ▶ 仏共講座#2レポート2 ▶ 仏共講座#2レポート3 ▶ 仏共講座#2レポート4「「ともにある」ことから、共生は始まる──三者の対話から浮かび上がった、平等と平和の原点」 |
仏共 (ぶっきょう) 講座 #2 ―お寺とNPOがともに考える多文化共生をめぐる対話シリーズ―
▶︎日時:2026年2月5日 (木) 18:00〜21:30
▶︎ 会場:真宗大谷派 名古屋別院(東別院)
▶︎ 主催:認定NPO法人 アーユス仏教国際協力ネットワーク
▶︎協力:TERA Energy株式会社
最近の記事
カテゴリー
- カテゴリーなし





