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特定非営利活動法人アーユス仏教国際協力ネットワーク

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平和人権/アジア

平和人権/アジア2019/09/05

交流を続ける意味


190905

写真を撮りあう日本と朝鮮の学生たち(ピョンヤン郊外の竜岳山にて)

隣国だからこそ、なのでしょうか。日本と朝鮮半島の関係はビジネスライクにはいかず、感情が一歩先んじるウェットな印象があります。通じ合える点が多い一方で、真意に耳を傾けず脊髄反射してしまったり、憶測が過剰な期待を生んだり失望を招いたり。

アーユスの参加する「KOREAこどもキャンペーン」では、90年代の朝鮮の子どもたちへの食糧支援を皮切りに、ずっと朝鮮半島と繋がりあうことを選んできました。これまで出会ってきたパートナーとは信頼関係を築いて来たと自負する反面、政治的な対立から世論もエスカレートして、「No Japan」なら「日韓断交」とネット上どころか路上でまで声高に叫ばれる昨今、非力も痛感します。

しかし、メディア報道やSNSに翻弄されて、「目の前にいる人とどういう関係を築きたいのか」を考えられなくなっているのは、まさに「出会う」経験ができていない人たちではないのか。関係を絶てばそれ以上の発展は考えられないけれど、続けることにはやっぱり意味がある。そう考えなおして、今年もピョンヤンに向かいました。子どもたちの日本語を学ぶ朝鮮の大学生と交流する、日本の大学生たち9名がいっしょでした。

今回も、小学校を訪問しての小学生との作品づくりや展示会観覧、大学生の交流、板門店の訪問など、滞在中は行事が盛りだくさんで目が回りそうです。日本の大学生のほとんどは初訪朝ということもあり、見聞したことすべてを一度に消化するのは大変だと思うのですが、短時間、しかも次の機会はいつになるかわからないので本当に一生懸命です。それは、朝鮮側の学生も同じこと。学校での対面と自己紹介、バレーボールなどのスポーツ交流、そして3時間近くにわたる座談会という密度の高い3日を過ごしました。

最終日、学生たちはメッセージを書き合って交換しました。
「いつも楽しく、明るく暮らして、将来の夢を目指そう」「お互いに理解が深まった2日間でした。再会を期待します」「国交正常化した日本でまた会いましょう」「一度会ったら友達になる。一生忘れない」・・・

周りで見守っていた年長の案内役メンバーたちは、日本語を学んでいながら、生きた日本に触れる機会が殊に少なかった世代。「私たちの学生時代にこんな機会が一度でもあったら…」と、心底うらやましそうな顔でした。そこには「言葉が学べる」「日本の情報を知ることができる」といったビジネス以上の想いが込もっていたはずです。

交流がない状態にある日朝を考えると、すでに交流のあるところでの「断交」は本末転倒の感を強くします。断交しているからこそ解決できない問題が、殊に東アジアにはあると思うからです。実際に出会えるのは、ほんの一握りの人かもしれません。でも誰もが往来する必要はないのです。完全に閉ざさないこと、関係を繋ぎたいと思う人が一人でも増えること、そして、そうしたパイプがあるという安心感が生まれること。それだけで未来は少し豊かになるはず。交流する子どもたち・若者たちの姿は、いつもそんな希望を抱かせてくれます。(〒)