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スタッフ雑記帳

スタッフ雑記帳2026/02/02

プロフェッショナルとしての矜持?──『医の倫理と戦争』を見て


 戦争に積極的に賛成する人は少ないかもしれませんが、仕方無いと思う人はいるかもしれません。攻められてきたらどうする? という問への答えも常に揺れます。でも、いったん戦争が始まると、たとえ命を守る医療従事者でさえも、命を奪うことに荷担せざるを得なくなります。その虚しさは、耐えがたいものであるはずなのに、現在、社会は戦争に再び荷担できる環境を整え始め、国内の医療制度すら必ずしも命を守る方向に動いていないことをつきつけてくるのが、映画『医の倫理と戦争』です。

 第二次世界大戦中にあったこと、それを清算しないまま現在に至っていること、現在の医療制度がいかに命の切り捨てを行っているのかなど、過去から未来へと問題は提起されていき、私の様な生活環境が不安定な者は見終わると今後への心配が募ったくらいでした。確かに医療費がひっ迫し、少子化が進むなど、十分な医療を施す余裕がなくなってきているのも事実でしょう。しかし一方で、軍事費は増額の一途を辿っています。この矛盾が進めば進むほど、医療が本来の倫理規範から逸脱していく・・・。

 

 世界医師会の『倫理マニュアル』には、「倫理は法よりも高い基準の行為を要求し、ときには、医師に非倫理的行為を求める法には従わないことを要求します」とあるとか。しかしいったん起きた戦争に従わないことは、簡単にできることではありません。問われるのは、いかに同じ状況を起こさないことなのでしょう。

 仏教者と共に活動している団体として、「宗教の倫理と戦争」を考えてみたくなりました。日本の仏教教団の中にも過去の戦争責任への反省を表明しているところがあります。では、再び同じような立場に立たないように動いているのか? 倫理という切り口から考えるのは、その人の「矜持」を問うことにもなるのではないでしょうか。プロフェッショナルとしての矜持。新しい課題を得たと思います。

 さて、『医の倫理と戦争』に出てくる医療従事者のひとりが、今年度のアーユスNGO大賞受賞者の「沢田貴志」さんです。外国人診療を通じて見えてくる日本の矛盾をついていますが、それは当たり前なことができていないことへの指摘です。沢田さんがこれまで献身的に医療を行いながらも、戦争などの社会課題にするどく発言されてきた背景を垣間見た思いです。

 話は、ミャンマーへ。軍事クーデターが起きてから5年経ちます。当初、軍の支配をボイコットする非暴力運動として市民的不服従運動(CDM)がミャンマー全土に広がりました。先陣を切ったのが、医療従事者たちでした。
 「医療を通して救えるのは一部の患者の命だけ。しかしクーデターに対して沈黙を貫けば、軍政下で毎日何百人もの希望が失われるだろう」
 西高ちひろさんの『ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか』にあった、CDM参加した医師の言葉です。(M)