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平和人権/中東

平和人権/中東2017/01/27

イスラームを知る・学ぶ・つながる その2


 前回からの続き(前回はこちら

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東京都渋谷区にある「東京ジャーミー・トルコ文化センター」の外観。モスクには近隣のムスリムが礼拝に集う。ラマダン(断食)の間は、日の入 り後になるとイフタールと呼ばれる食事が振る舞われ、訪れた人誰しもが頂戴できる。

預言者亡きあとのイスラーム
 ムハンマドは63歳で亡くなりました。ムハンマドが最後の預言者だったということは、ムハンマドの死後はアッラーが人間にメッセージを送ることはなくなったことを意味します。この預言者なきあとに、まずムハンマドに従っていた人たちは、ムハンマドが伝えたアッラーからのダイレクトメッセージを書き留め始めます。この集大成がクルアーンです。そして預言者が亡くなった後アブー・バクルという人物がムスリム共同体を預言者に変わって率いる初代カリフとして就任し、3代目のカリフ、ウスマーンの時代にクルアーンの集成が完成します。ムハンマドが亡くなってからかなり早い時期に完成させたので、他の宗教の聖典に比べ正典としてのクルアーンは預言者ムハンマドの肉声にかなり近いものを保存しているといわれています。
 クルアーンに書かれてあるアッラーのメッセージは、それだけでは読んでいても複雑な表現や相互に矛盾するような内容もあり、簡単に理解できるものではありません。そこで、クルアーンと並んで、クルアーンという啓示を下され、それを最も理解し実践した人間であろうムハンマドの言行録を書き留めていく作業も行われました。この言行録がハディースと呼ばれるものです。このクルアーンとハディースがイスラームの規範の総体であり、これに従うことが預言者死後のイスラームの形となりました。
 預言者亡き後のムスリムは、クルアーンとハディースを常に参照することになりますが、その理解度には個人差があります。そのうち、中でも特にイスラームに関する学識を備えることに長けた人物がウラマー(アラビア語で「知る者」という意味)となり、彼らがさまざまなイスラームの問題をクルアーンとハディースを参照して答を探す責任を持つことになりました。しかし、預言者ムハンマドと違い、普通の人間は誤りを犯す存在です。加えて、イスラームでは預言者時代を頂点として時代が下るにつれイスラームを理解できない者が増えるという「末法」の時代の到来が予見されているため、預言者死後以降のイスラームには、何らかの間違っている可能性もあるということです。

 そして、預言者亡き後のイスラーム世界は、クルアーンとハディースにより導きだされたイスラム法により支配されるようになり、「イスラームの家」と呼ばれます。ここで重要なのは、法が人より優位に立つということです。ですから、人の都合によって規範の一番大事なところを変えることはできません。
 さきほどのジハードに即して言えば、「イスラームの家」の中でムスリムは様々なイスラームの努力(ジハード)を行います。ムスリムは信仰に基づき内面のジハードと弱者の救済や財産の分配などで社会保障を実現するなど社会的ジハードを実践します。しかし、政治的な問題、イスラームの家の防衛および拡大を目指すような剣のジハード、つまりイスラームの家の存亡に関わるような決定は個々人が出来るものではありません。そこで、この法治空間を統治し政治的な決定をくだす代理者が必要になり、預言者の後継人であるカリフが選ばれるようになりました。イスラームの家は、大雑把にいえば1924年のオスマン帝国崩壊までのイスラームのあり方だったと言えます。

現代のイスラーム 変なものから変なものへ
 1924年にオスマン帝国が崩壊したあと、トルコはイスラーム的な国では西洋列強から国を守れないと判断し、人がイスラームを支配する形の国家を作りました。第二次世界大戦のあとは、シリアもイラクも人が統治する国家に姿を変えていきます。「イスラームの家」というイスラーム法による統治空間は消えてしまいました。
 ムハンマドの預言の中に、ムスリム共同体はいずれ弱体化し、イスラームの教えを理解することのできる者はいなくなる、といったものがあります。知識もないのにイスラームの教えについて語り、自ら迷ったまま人々を迷わせる指導者が選ばれる時代が訪れ、ムスリムが多数であるけれど弱者になっているとムハンマドは言っています。それはまさに末法の到来であると言われています。
 しかし、統治空間の「イスラームの家」というのは消えても、歴史の中で培われたムスリムの連帯意識とイスラーム法は残りました。極端な話、ムスリムがたとえ礼拝をしなくなっても、アッラーから伝えられた礼拝をしなさいという規範は残るわけです。たとえ、イラクやシリアのような国民国家ができても、ムスリムは1つの共同体であったという歴史とムスリムは1つの共同体だというアッラーのメッセージは残っているということです。
 その中でムスリム共同体をもう一回立て直したいと考える人たちが、クルアーンとハディースの中に、アッラーは人間が自分自身を変えない限り、その者の運命を変えないという章句を見つけます。それとムスリムの状況を照らし合わせ、ムスリムが苦境に立たされているのは、ムスリムがイスラームに従わないためであると解釈し、自分自身が良きムスリムになろうと努力する、つまりジハードをすればまだ希望があるのではないかと思うようになります。
 このような中、イスラームの理念に基づいた生き方を探るムスリムが増え、イスラーム復興運動が世界中で起き始めて、さまざまなジハードが行われるようになりました。たとえば、現在のムスリムの悲劇を止めるためには、世界中のムスリム個々人が変わる必要があると考えて、クルアーンとハディースに立ち返ってよりムスリムらしい生活をしようとスカーフをかぶる、あごひげを伸ばしてみようなど、個人レベルで内面のジハードを実践する人が増えています。また、社会的ジハードのレベルでは、イスラームの理念に基づいたNGOなどをつくり、福祉活動、不正を摘発する、言動によって変えて行こうというと考えるグループもでてきました。
 そして現在一番問題になっている剣のジハード。現在パレスチナ、ウイグル、ビルマのロヒンギャなど世界中でムスリムは迫害、虐殺されています。そしてイスラームの家はなくなっていても同朋意識は残っているために、同朋を救いたいと思うムスリムがいるのは当然です。
 イスラム国につながるものとしては、武装闘争派のカリフ制再興運動があります。彼らは、ムスリムを抑圧する非イスラーム国家を倒し、その後に「イスラームの家」を建て直すことなしには、個々人の信仰の安寧や社会秩序はないと考えています。この考え方が911において事件を起こしたアルカイダやイスラム国の根底にあります。
 イスラム国に参加する人たちが、世界各地から集まっている現象は、現実としてあります。これは個人の志向性の問題なので一概にその理由を述べることはできませんが、傾向としてムスリムが抱く疎外感が影響しているかもしれません。
 ハディースの中には、イスラームは「変なもの」として始まったが、いずれ「変なもの」に戻っていく、その「変なもの」に戻った時に、「変なものと思われている人」に幸せがありますようにと書いてあります。この変なものというのは、イスラームが迫害されているときに熱心にイスラームを守っているが故に迫害されている人たちのことです。
 現在、ムスリムであるが故に社会の中で差別や嫌がらせを受ける人たちが、特に欧米諸国に多くいると言われています。イギリスやフランスで生まれ育っていても、「どこから来たの」「いつ国に帰るの」などとよそ者扱いを受け続ける。日本の「外人」という言葉の概念に近いかもしれません。
 そこで自分が社会に受け入れてもらえない理由を考えた時に、「そうか、自分がムスリムだからいじめられるのか。でも熱心なムスリムであるがために迫害されるのであれば、いずれ幸せになれるんだ」と、より敬虔なムスリムになる傾向が出てきているのではないでしょうか。そして、イスラム国には、そのような疎外感を抱く世界中のムスリムの受け皿になっている面があると思います。

 しかし、中東諸国自体が権威主義国家で、暴力的に国民を統治してきた上に、イラク戦争のように欧米諸国からの介入を受けて、長年にわたり国民が国や外の力に翻弄されてきたことも重要な点です。抑圧され、自由を奪われた状態が続くなか、イスラム共同体を再興させて、イスラーム法で統治された社会を求めるようになってきたことは、過激派が力を持ってきている現実を理解する上で忘れてはいけないことだと思います。  (文責 枝木美香)