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平和人権/中東

平和人権/中東2017/01/27

イスラームを知る・学ぶ・つながる その1


※ この記事は、2015年5月発行のニュースレター「ayus」に掲載されたものです。
 2015 年1 月、イスラム国が日本人2 人を拘束していることを発表して以来、日本国内のイスラームへの関心が急速に高まった。その関心は必ずしも前向きなものではなく、不信感など否定的な印象も含めてのものだったが、イスラームそのものを知らないという自己への気づきにもつながったと思われる。
 イスラームの教えとは何か、彼らは何のために戒を守り、防衛のためであれば戦いも厭わないというのは本当なのだろうか。様々な疑問があるなか、2015 年4月に開催されたアーユス春合宿では、イスラームをテーマに開催。京都大学博士課程でイスラム思想を学んでいる山本氏より、預言者が生きていた時代のイスラーム、亡くなってからどのように変遷したのかをわかりやすく講義していただき、なぜイスラム国のような過激派グループが生まれてきたのかを理解するヒントを得た。今回は、山本氏の講義録の抜粋をお届けする。


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イスラームとは何か
 イスラームでは、唯一絶対神(アッラー)のメッセージに従うのが基本的なあり方です。そのメッセージとは、神に選ばれた人間、つまり預言者だけが受け取ることができ、その選ばれた人間により人々に伝えられました。
 イスラームを信仰する者をムスリムと呼びます。2010年には、世界に10億人いると言われていたのが、2030年には世界人口の26%を超えるだろうと予想されています。親がムスリムであれば、子どもも自動的にムスリムになり、自然増している上に、改宗ムスリムと呼ばれる成人になってからムスリムになる人たちが欧米を中心に増えていると言われています。このように、ムスリムは世界的に増えている一方で、イスラームを嫌う人たちも増えています。たとえば、信仰熱心なムスリム女性が頭髪や身体を布で覆って人目から隠していることに対して、イスラームは女性を抑圧していると責めることも一例でしょう。また、メディアのいう「イスラム原理主義」によるテロが世界各地で起きていることから、イスラームは暴力の根源だとまで言われることがあります。そうみると、イスラームとは魅力的な宗教に思えると同時に、世界でもっとも嫌われている宗教であるのも事実でしょう。
 たとえば日本では「聖☆おにいさん」という、イエスと仏陀が東京で小さなアパートを借りてちょっと「ゆるふわ」な生活を送っている漫画がありますが、あれにもムハンマドは出てきません。やっと漫画に描かれたかと思うとフランスの風刺画事件のように過度にイスラームの預言者を揶揄したものでした。ムスリムって「ゆるふわ」の生活にも呼べないし、ちょっとからかって描いてみたら怒って銃を持ってやってくる。ムスリムとはそんな近寄りがたく、暴力的な人たちというのが一般的な人のイメージではないかと思います。
 確かに暴力事件を起こすムスリムがいるのは事実ですが、それをもってイスラームを理解することはできません。今回はイスラームとは何か、というテーマでお話しする機会をいただきましたが、本日は預言者ムハンマドの時代にはイスラームとはどのようなものとして理解され実践されてきたか、そして現代におけるムスリムの状況とイスラーム復興についてお話しさせていただきたいと思います。

 イスラームでは、「アッラー以外に神はなし」と「ムハンマドはアッラーの使徒である」という2つの言葉が信仰の基本にあります。
 アッラーとは、人や物だけではなく、それらが存在する空間や時間も含めて何もかもの創造主であります。そして創ったものに対してイスラーム(帰依をすること)をしなさいと命じる命令者でもあります。そして人は如何に「イスラーム」をするのか、そのアッラーからのメッセージを伝えた使徒がムハンマドです。
 イスラームではムハンマドはアッラーからメッセージを受け取った最後の預言者だと信じられています。ムハンマドはほぼ聖徳太子と同じ時期に生きた人です。小さい頃に両親を亡くしましたが、商人として生活し、15歳年上のハディージャという女性と結婚します。そして40歳の時にアッラーから啓示を受けます。単なる商人だったのが、そこからアッラーの言葉を受ける預言者として活動を始めました。

始まりのイスラーム

山本直輝さん (やまもと なおき)  京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科グローバル地域研究専攻博士課程。同志社大学の神学部にて中田考氏の元でイスラームを学び、イスラームへの関心が高まる。学部生時代にエジプトへ留学し、その時の経験から自身もイスラムに入信。現在は、現代トルコにおけるイスラームを理念とした社会改革などについて研究している。

山本直輝さん
(やまもと なおき)
 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科グローバル地域研究専攻博士課程。同志社大学の神学部にて中田考氏の元でイスラームを学び、イスラームへの関心が高まる。学部生時代にエジプトへ留学し、その時の経験から自身もイスラムに入信。現在は、現代トルコにおけるイスラームを理念とした社会改革などについて研究している。

 ムハンマドが40歳の時に、少し離れた山で瞑想をしていた時のことです。ジブリールという天使から啓示を伝えられます。そこからムハンマドの預言者としての人生が始まりました。ムハンマドが啓示を受けたイスラームは、平等主義で血統や性別による違いで人間の価値が変わることはないと教えていましたが、この発想は当時のアラビア半島にはなかったものです。当時のアラビア半島では、部族によって社会的地位が決まる部族主義が強く、多神崇拝や徹底した現世利益を反映するような偶像崇拝が広く行われていました。
 イスラームの平等主義は、これら部族主義や偶像崇拝に真っ向から反したために、ムハンマドは迫害され始めます。言葉の侮辱もあれば、身体的暴力を受けたこともある。ムハンマドの許で入信した人々も同様に激しい迫害にあり、命を落とすものもいました。しかし、アッラーはこの時代の迫害に対して、ただひたすら忍耐せよと言うだけでした。クルアーン(コーラン)の中にも、人間は滅びるものであるが、ただ信仰をして善行をなして、互いにイスラームを勧め合って、苦境を耐えて生きていきましょう、現世においては辛いかも知れないが、来世においては救われるというメッセージが残されています。
 これがムハンマドがマッカ(メッカ)にいた時代の「ジハード」と言われています。ジハードとは努力を意味し、信仰のために努力する者は、すなわち自らのために努力することとなります。
 ジハードは努力を指す言葉である以上、様々な形があります。例えば自分の内面と戦うジハードは、イスラームの信仰で最も大事なことの一つです。これは自分の心の中の悪と戦うこと、つまり欲望、部族主義などのつまらないプライドにしがみつくことや、または優越心など心の奢りと戦うことです。社会的善行をおこない公正を訴えることで、貧しい人や孤児を助けることは社会的なジハードと括ることもできるでしょう。
 そして、預言者ムハンマドが伝える言葉の中には、もっとも高貴なジハードとは不正な者の前で真実の言葉を臆することなく話すことと伝えられています。つまり、ジハードとはマスコミが伝えるような単なる暴力の肯定ではないことがわかります。

 しかし、迫害は厳しくなる一方で、特にムハンマドを支えていた妻や親戚が亡くなった後は、このまま耐えていても信仰を続けることすらできなくなると思い、マディーナという町に逃げることになりました。マディーナに移ってから、ムハンマドたちはイスラームの信仰と相互扶助によって成り立っている、イスラーム共同体を成立させます。しかし、周辺の人たちは多族主義であり多神崇拝を行っていたために、イスラーム共同体の発展は脅威であり、戦いをしかけるようになりました。そこでアッラーは、共同体を守るための戦い、剣のジハードという新たなジハードを許可します。
 それは、イスラームというのはこの時点から共同体の防衛無しには信仰実践や社会秩序を含め個人の安全が訪れないと考えるようになったということです。この点においてイスラームでは他の宗教に見られる絶対非暴力の精神や平和主義はみられません。そういう意味で、イスラームとは非常に現実的な宗教だといえますが、だからといって無秩序な暴力を肯定しているわけでは決してありません。
 このように、ムハンマドの時代は、リアルタイムにアッラーから啓示が下って、そのときにあるべきイスラームが決められてきました。イスラム原理主義というのがムハンマドのあるべき姿に戻っていく運動と説明されることがありますが、ムハンマドのあるべき姿のイスラームといってもムハンマドの活動期間の中でさえも変わってきているので、どの時点のイスラームに戻るのかを決めるのは実は非常に難しい問題なのです。(続く・・・こちらをクリック