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エンゲイジドブッディズム

エンゲイジドブッディズム2026/01/05

【1月】みんな違って当たり前


 ろう者と健聴者、そして外国語をしゃべる人たちが織りなす映画『みんな、おしゃべり!』は、人間は違って当たり前の面白さを伝えてくれる、珠玉の作品でした。
 舞台はある町の小さな電器店。店主の古賀はろう者で、聴者の妻を病で亡くしてからは日本語ボードを使って商売をしていますが、なかなかうまくいきません。そこへある日、クルド人のルファトが客として訪れますが、言葉の通じない2人は小さな誤解からケンカ。それがやがて、それぞれの家族や仲間、さらには町の人びとをも巻き込んでの騒動となってしまいます。
 物語は進むにしたがって、日本人同士、クルド人同士、ろう者同士、聴者同士、それぞれの間に存在する分かりあえなさも浮き彫りに。そう。話が通じないのは当たり前。なのに、通じていることを前提として話を始めるから、いろいろややこしくなるのでは、という問いが作品に通底しています。
 この作品には、日本手話、日本語、クルド語、トルコ語、アラビア語、英語、中国語、まだ名前のない言語さえ出てきて、基本的に字幕は付いているのですが、ところどころで字幕なし、あるいは外国語の字幕が付いて、しばしば観客も置き去りにされます。観客を「分かった気にさせない」という監督の意思が感じられます。
 私たちの「分かった気」はしばしば思い込みか誤解です。そして分かった気になったら対象への関心を捨ててしまいます。分かった気にならず、そのままの相手と相対する。それは、人に対するときの基本の礼儀だと思うのです。
 作品中、登場するろう者は自分たちを「聴覚障害者」と呼ばれることを拒否します。自分たちは「手話文化圏にいる者」だと。言われてみれば確かに、日本語が通じない人、英語が分からない人を「障害者」とは呼びませんね。違って当たり前。だから終り、ではなくそこから始めましょう。何事も。(アーユス)