文字サイズ

特定非営利活動法人アーユス仏教国際協力ネットワーク

会員になるには

エンゲイジドブッディズム

エンゲイジドブッディズム2025/12/01

【12月】考察 考察 納得、or 陰謀?


 近ごろ、映画やテレビドラマへの感想をネットで見ていると、「見事な伏線回収」という言葉がたびたび使われていることが気になっていました。同様に、作品への否定的評価として「伏線が回収されていない。風呂敷が広げられたまま」とされることもあります。

 伏線。物語上では一見意味がなさそうに見えた出来事が後から重大事だったと分かったり、一つ一つは小さい出来事が、つながると全く違った様相を見せたり。

 ネットではそれらの「考察動画」が人気です。このような現象を三宅香帆氏は近著『考察する若者たち』で、「考察」は現代人の心性の反映だと指摘しています。「考察」は「評論」ではありません。後者は作品について「作者さえ気づかなかったかもしれない深み」を提示するものですが、「考察」は作品に潜んでいる「正解」を探る行為です。「正解」があることを前提としているのです。そして、裏設定を推測し、伏線を拾い上げて、物語を再構築するものです。それは、曖昧な現実や不安定な未来を生きる若者が、意味の欠如した社会の中で「自分なりの納得感」を作り出す方法ではないかと三宅氏は指摘します。それを私は妥当と見ます。「正解」があるのなら、それを他者と協力して探そう、という発想も生まれます。「考察動画」の人気は、そのような共同作業やコミュニケーションの場とも評価できそうです。

 ただ、「どこかに正解がある」という前提は、陰謀論と親和性が非常に高いとも思えてしまいます。陰謀論とは「この世界は○○が裏でコントロールしている」「プログラミングされている」という世界観と言えましょう。それは世界の単純化と分断に向かわせます。また、「伏線が回収されていない」ことへ不満を感じてしまうことは一種の倒錯のような。私たちの日常で、回収される伏線などごくわずかです。私たちの日常は、回収されることのないものたちで溢れています。それこそが豊かさではないでしょうか。

 現実世界に、用意された正解はありません。伏線が見事に回収された物語は確かにカタルシスを感じます。スッキリと気持ちよくなります。しかしそれがいい作品の条件ではありません。スッキリしないでいつまでもうずうずと胸に残る作品に生きる力を与えられることもあります。さまざまな物語に力をもらいながら、やっかいな日常に向かいましょうか。(アーユス)