この春、テレビドラマ『不適切にもほどがある!』が大変評判になりました。
宮藤官九郎さんが脚本を担当したこの作品。話題になったのは世代間の価値観ギャップでした。1986年から中学校教師・小川市郎(阿部サダヲ)が偶然タイムマシンに乗ってしまい2024年に降り立ちます。そこは昭和とはまったく違った世界。法令遵守重視、ジェンダー規範、働き方改革、スマホ利用、各種ハラスメント批判など。市郎の昭和的価値観からの行動は、令和の人びとにとってはとうてい受け付けられないことも度々おきます。しかし、ある面では新鮮に映り、力づけにもなっています。また市郎自身も、自分の中で自明としていた価値観が問われることとなります。
昭和懐古的なシーンが多く、また、現代の法令遵守重視やハラスメント回避への批判的なセリフも頻出しましたので、反動的作品とも目され、途中で脱落した人も少なくなかったようです。昭和は決して美しくも自由でもなかったし、様々な議論や運動の成果として現代があることへの言及がないと。
そういう批判は理があると思います。しかし最終回まで観れば、反動的とまでは言えないのではと思えました。 最終回、市郎は昭和の時代に戻ります。令和の時代を半年間生きた市郎は元の市郎ではありませんでした。同僚の教師たちの昭和的な不適切行為が見過ごせません。自身の以前のやり方にも強い違和感を感じます。その一方で、生徒たちに自信を持って語るのです。未来は楽しいぞ、希望を持って生きろと。
ドラマの最後にはこんなテロップが流れました。「この作品は不適切な台詞が多く含まれますが、時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描く本ドラマの特性に鑑み、2024年当時の表現をあえて使用して放送しました」今から見た昭和が珍妙であるのと同様に、未来から見れば令和もそのままでコメディになりうるということでしょう。ここにあるのは自らを相対化できる眼です。ドラマの終盤で強く主張されたのは「寛容になりましょう」でした。これは、「不適切な行為」への寛容を求めているのではなく、自らを絶対視せず、自らの変更や訂正が可能であるような余裕を持とうということと受け取れました。それは異世代間だけでなく,異文化間でも言えることと思います。(アーユス)