映画『福田村事件』の観客動員数が10万人を超えました。9月1日に封切されるとたちまち評判は広がり、全国で上映館が増え続けています。
作品のテーマは、関東大震災直後に千葉県福田村で実際に起きた事件。
9月1日に起こった震災の大変な混乱の中、「朝鮮人が暴動や放火を起こしている」との流言が広まり、各地で市民による自警団が結成されます。そんな9月6日、千葉県福田村で、自警団を含む100人以上の村人たちにより、香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺される事件が起きます。行商団が話す讃岐弁は、千葉の人びとには異国の言葉で、不安をかき立てるものでした。竹槍を向けられた行商団が死に直面して称えるのは、親鸞作の正信偈。そして水平社宣言。しかしそれらも村人たちにとっては耳馴染のないものでした。福田村に根付いているのは真言宗であり、水平社宣言は震災前年に発表されたばかりで被差別部落民以外に伝わってはいません。
「十五円五十銭」「天皇陛下万歳」と言えるかどうかを踏み絵にし、同胞以外を排除排斥するのは正義であると胸を張る描写もあります。不安や不満の裏返しとして他者や弱者へ攻撃的になる姿は、現実の社会でも見受けられるものです。
この映画がこれほどのヒットとなっているのは制作者も想定外だったとのこと。企画段階では制作費がまったく集まらず、作品内の重要な一要素である浄土真宗も、本願寺派大谷派共に協力依頼には応えてくれませんでした。しかし負の歴史を作品化することの困難は、制作者の使命感を燃やす役には立ったようです。クラウドファンディングを広く呼びかけたところ、目標を大きく超える額が集まり、作品化にこぎつけたのでした。
作品の中では、朝鮮人への恐怖を煽ったデマが広がったのは、当時の新聞報道に大きな責任があったことが示されます。そのことを受けてでしょうか。映画公開直前に、NHKの複数の番組を始め、多くのメディアが福田村事件を取り上げました。それが映画の宣伝になったのは間違いありません。しかしヒットの原因はそれだけではないでしょう。8月の松野官房長官による「虐殺について、政府内で事実関係を把握できる記録が見当たらない」発言が、歴史修正の流れを進めてしまうとの危機感もあったでしょう。そしてそれ以上に、負の歴史をきちんと受け止めようとする人びとが少なからずいるという事実に、希望を見ます。歴史を踏まえてこそできる握手はあるはずです。
作品中、村人は行商団を囲みながら葛藤します。こいつらは朝鮮人なのか、日本人なのか。もし日本人なのに殺したら大変なことになるぞ、と。そんな村人への、行商人の「朝鮮人なら殺してもいいのか」という叫びは、正義すら状況によって移ろいやすいものであることを突きつけていました。
(アーユス)