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エンゲイジドブッディズム

エンゲイジドブッディズム2022/10/26

【10月】自らがカルト的にならないために


 山際経済再生大臣の辞任ではとても収まりそうもない旧統一教会と政治の問題。旧統一教会を一宗教団体と考えると、その教義を信じる人たちの問題、と見えてしまい、どこか他人事に思えてしまうようです。でも、宗教一般ではなくカルト問題と絞ったなら、それは自分たちに無関係とは言えないことが見えてくると思います。

 カルトとはなんでしょうか。先日に放送されたNHK「こころの時代」で批評家の若松英輔氏は「恐怖・搾取・拘束により人を支配する集団」と定義しています。「これをしなければ地獄に堕ちると脅し、そこからの脱出には多額の献金をせよと搾取し、教団からの脱会も許さない」。とても的確と思います。同番組内で釈徹宗氏はこれに加えて、「他宗教と対話ができない」を挙げました。我が身を絶対・至高とすることで、他との対話の必要を認めない。あるいは他宗教の撲滅さえ望むものです。そしてそれらに通底するカルトの本質は「答を与えること」ではないでしょうか。恐怖や不安を相手に覚えさせ、それらを自分に及ぼしている「犯人・原因」という「答」を与える。そして恐怖や不安を解消する「答」を与える。これがカルトの大きな特色です。

 そう考えたとき、カルトは必ずしも宗教教団の姿をまとってはいません。昨年1月に起こったアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件は、トランプ氏の敗北は陰謀であるという「答」が引き起こしたものでした。

 もちろん答のすべてを否定するものではありません。カルトが提示する「答」は、特定の者が独占しており、反証を拒否するものです。絶対の「答」が与えられるのは恐怖からの「解放」であり、甘美で心地よいことです。それを安易に求めず、異なる文化・異なる思考の存在を認め、対話の可能性を担保しておかなけれせば、自らもまたカルト的になる可能性があるかもしれません。(アーユス)