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エンゲイジドブッディズム

エンゲイジドブッディズム2021/07/30

【7月】相模原の事件から5年


 相模原の障害者施設やまゆり園に元職員が押し入り、19人を殺害、26人が重軽傷を負った事件が起きてからこの7月26日で丸5年になります。

 事件を起こした植松聖は、裁判中も「重度障害者を生かすのは不幸」と反省の色を見せることはありませんでした。

 植松について、最近新たな側面がみえてきています。雑誌『創 8月号』で紹介されている、彼が勤務中に作成した「ヒヤリハット」報告書です。

 それは業務中にヒヤリとしたりハッとした事例を記録して、職員で共有するためのものですが、2014年頃の彼は、利用者に対してきわめて細かく目を配り、異常にもいち早く気づいて的確な処置をしていたことが伺えます。食事風景から体調の異常を察知し、その後の変化にも注目して一命を取りとめたとか。そんな職員がどうして、あのような凄惨な事件を起こすにいたったのでしょうか。

 理由は定かではありません。可能性として1つに、職場で彼があまり評価されていなかったと見られることはあげられます。努力が報われない中で自他の意味が見失われたということはないでしょうか。

 また気になるのは、植松が陰謀論の信奉者だったと伝えられていることです。事件の1年ほど前から「世界はある秘密結社に牛耳られている」と考えるようになったとのこと。陰謀論を醸成するのは、孤独と孤立感と不公正感です。彼の環境の反映とも思えます。

 折りしも事件が起きた年は、アメリカ大統領選挙でトランプ氏が勝利し、分断があたかも真っ当な社会がとる手段であるかの主張が声高になった時期でした。自らの価値観を疑うことなしに押し通してよし、対立者の意見は一顧だにしなくてよしとする手法が伸長しました。言葉にできなかった押し込められた感情が言葉になったとき、それまで控えていた行動が背中を押されることはあるかもしれません。

 他者を殺めた者の環境に思いを巡らせることは、擁護が目的ではありません。加害者を怪物視・特別視し、その思想を唾棄してすませてしまうのは、その事象を他人事化すると考えるものです。障害者施設で仕事へきちんとした姿勢を見せていた人物が、いつしか殺人者になってしまった事実から開かれる視界はあるのではないでしょうか。(アーユス)