アニメ映画に泣かされました。
現在、各地で上映されている「ロボット・ドリームズ」の舞台は、1985年のニューヨーク。主人公のドッグは一人暮らし。その孤独の様子がとても切なく描写されます。寂しさを紛らそうと、ドッグは通販で人型ロボットを購入します。たちまちドッグとロボットはいい相棒同士になり、楽しい幸福な日々が続きます。
そこに流れるのは、アース・ウィンド&ファイアーの「セプテンバー」。ノリのいいダンス・ミュージックは、二人の幸せと同時に、そこはかとない切なさを誘いきます。
二人が海水浴で訪れた砂浜で、ロボットは故障して動けなくなりました。まもなくビーチは翌シーズンまで閉鎖。ドッグは柵に阻まれて、横たわったまま放置されたロボットを助け出すことができません。離れ離れになった両者はお互いを思う夢を見ながら、ビーチの再開を待つのでしたが・・・。
この作品の大きな特徴は、1985年当時のニューヨークを忠実に活写しているところです。登場する商品はすべて実在します。町並みの落書きもそのままに。当時のニューヨークには安いアパートもあり、雑多な人びとが集まって、活気があり、変わった文化を許容する懐がありました。だから新しい文化も次々に生まれました。それを今描くことに、あの頃はいい時代だった、という懐古趣味以上のメッセージがあることは、幾度か画面に登場する世界貿易センタービルが象徴しています。
この作品にはセリフが一切ありません。登場する誰もの性別も年齢も不明。そのため、主人公のドッグとロボットの関係も、どのようにでも解釈できます。恋人、友人、飼い主とペット、もしくは掛け替えのない何かと何か。セリフはなくても両者の思いは痛いほど伝わります。言葉、性別、国籍など、相手との関係性を図るうえで求める「情報」は、実は関係性を築く上では不要なものなのでしょう。