「この世界には、たくさんの世界がある。つながっているように見えても、つながっていない世界がある」。
映画『Perfect Days』の中で、主人公がつぶやく印象的なセリフです。「つながっていない世界」とは、「自分の想像や解釈を超えた世界」なのか、「見ているつもりで見えていない世界」なのか。
東京の公共トイレの清掃員である平山が主人公の映画『Perfect Days』は、国内外において高い評価を得ていて、全世界の興行収入は監督のヴィム・ヴェンダースの作品の中でも最高を記録しています。平山の一見単調な日常と、彼が暮らす東京が映しだされる、特に山場もない映画ですが、それが退屈でないのは、平山の一挙手一投足が丁寧で豊かに見え、日常のどの一瞬も平山が心底愛おしんでいることが伝わるからでしょうか。
平山は朝、仕事へ向かうためにアパートのドアを開けると、決まって空を見上げ、微笑みます。好天の日だけではなく、曇天であっても、愛すべき今日が始まったことを喜んでいるようです。
便器掃除の手際のよさは爽快感さえ覚えさせます。
平山の趣味のひとつは読書。買うのは馴染みの古書店。100円均一の棚に並ぶ文庫本から選んだ本をレジに持っていくと、店主は本へ一言コメントを加えます。それも平山の生活の潤いです。
この映画で流れる音楽は、1960年代70年代の洋楽です。いずれも、仕事場に向かう車の中で平山が、カセットテープをカーステレオでかけているもの。ラストに流れるニーナ・シモンの「フィーリング・グッド」は「私が感じていることが分かる?」と繰り返します。それは、平山の毎日を単調と見下してしまいがちな私たちへの問いにも聞こえます。
平山の生活を、修行僧のようとの評を見かけました。確かに世間の流行や情報に興味がなさそうな平山は一見、悟りを開いているかのようです。しかし少しだけ明かされた平山の素性から伺うに、平山は何らかの意思を持ってそんな生活に身を置いているようでもあるのです。
「この世界には、たくさんの世界がある。つながっているように見えても、つながっていない世界がある」。
作品中に登場する、街中で誰からも無視されているホームレスのダンサーはその象徴でしょうか。分かっているつもりになるな、同じように見えても昨日と今日は違うんだぞと。自分の見えていないところにも美しい(あるいは悲惨な)世界は存在するんだよ、と。それは極めて現在的な問いかけです。
この3月9日、アーユスは築地本願寺にて「光の当たらないところに光を当てるということ」と題するトークイベントを森達也さんを迎えて開催します。自分が何を見て何から目をそらしているのかを問い直す機会にもなるかと思います。ぜひご予定ください。