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エンゲイジドブッディズム

エンゲイジドブッディズム2023/06/28

【6月】怪物だーれだ


 月末の日曜日、東京の山手線車内で「刃物男」騒ぎがありました。座席に座っていた男性の横に布に巻かれた包丁が置いてあり、それを見た乗客数名が「刃物を持った人が車内にいる」と110番通報をしました。車内やホームは一時パニック。新宿駅に着いた車両からは「刃物男」から走り逃げた乗客数名が転倒してけがをしました。
 実は男性は料理人。店を退職した帰りに仕事道具を持ち帰ったのですが、ついうたた寝をし、手元から包丁が露出してしまったのでした。
 この騒ぎを報じた某テレビ局のニュース番組では、テロップに「新宿駅の刃物騒ぎで3人けが」と報じています。確かに間違いではありませんが、誤解を誘う表現ではないでしょうか。また、ニュース本文内では包丁の持ち主を「外国籍とみられる」とも報じています。この情報は必要だったのでしょうか。
 この騒ぎから思い出したのが是枝裕和監督の新作映画『怪物』です。カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞しただけあって、いろいろな仕掛けがある作品です。ぜひご自身で「体験」していただきたく、ストーリーの詳しい紹介はしません。ただ、大枠のテーマについて。「怪物なんてどこにもいない。自分で勝手にいると思い込んで、仕立てているだけ」と受け取った方は少なくないようです。私はそれに賛同しながら、表現としてはこちらの方がしっくりきました。「誰もが怪物になりうる」。当人にその自覚はありません。だからこその「怪物」なのです。思い込みや恐怖によって無垢の存在を怪物化しているかもしれない自分であるか、という振り返りと、無意識や無自覚のまま、いやそれらだからこそ自分こそが怪物となっているのではないかとの振り返りは両立します。
 映画『怪物』の予告編にはこんなセリフが流れます。「怪物だーれだ」。先の刃物男騒ぎで言えば、刃物を横に置いて寝ている男、「車内で刃物を振り回している人がいる」と通報した駅員、刃物を持っていたのが外国籍と報じたマスコミ。怪物の資格があるのは誰でしょう。
 いつでも出現しうる「怪物」。せめてそれを巨大化させない鍵は、ただ、それをきちんと見ることが第一でしょう。(アーユス)