昨年の今ごろ、ヨーロッパやアメリカで感染拡大が進む中で、まだ感染が進んでいないアフリカの今後を危惧する声が多く聞かれました。ビル・ゲイツ氏が「感染がアフリカに波及すれば死者が続出し、世界全体の死者は1000万人を超える」と発言したのはその代表です。
では実際の今は。アフリカ地域事務局管内47ヵ国で見ると、3月14日現在、人口10万人当たりの感染者数も死亡率も、日本よりアフリカの方が少ないのです。
その要因はまだ不明です。アフリカは平均年齢が低いことが重症化を回避できているという可能性もあるかもしれません。また、もともと様々な感染症の脅威に直面しているため、有効な対応が可能だったとも考えられます。
この現在を見た時に、一年前に先進国の人たちが抱いた危惧は、アフリカの人々を心配しているというより、アフリカの人々の民度を侮っている反映でしかなかったようにも思うのです。それはアフリカの人々が欧米人の態度から常に感じていることとも聞きます。
日本でも、一年前のこの時期に、欧米諸国と比較して感染者も死者も押さえられている状況を「民度の違い」と誇った政治家がいました。ただ、その時でさえ、確かに欧米と比較したなら少なく見えた数字は、アジア諸国の中ではむしろ高い方でした。それは一年たった現在も変わりません。しかし民度に言及した政治家が、アジアやアフリカ諸国と比較して日本の民度の低さを嘆いたという話はまだ聞こえてきません。
そして民度と言えば、東京オリンピックです。当初「シンプルな」「復興五輪」だったはずがいつしか「人類が新型コロナに打ち勝った証」となり。開催の主目的が国威昂揚と経済振興なので、掲げる看板はいくらでも更新可能という民度。そしてはらかずも、日本的ジェンダー感や日本的組織運営などから伺える民度。それらを露呈させながら、見直す一大契機となったのはさすがオリンピックと言っていいでしょう。
欧米人の「アフリカ」観。政治家の「日本」観。日本社会の「ジェンダー」観。私たちが持っている認識は、現実を前に常なる検証が求められています。それを恐れたり回避してはいけません。