「自粛警察」が闊歩しています。正しさをまとった人の高圧的な態度を苦々しく思う人は少なくないでしょう。でもその要素が自分にないか、省みる必要があるのではないでしょうか。
それを考える手がかりに、『なぜ人はカルトに惹かれるのか』(法蔵館)という本を紹介します。カルトや宗教に関心がない人にもぜひ手に取ってほしい内容です。特に、「正しさ」とは何かを考える環境にいる人、そして信条が違う人と意見を交す場面に立つ人に。
著者の瓜生崇氏は以前にカルト教団で活動していた経験があり、現在はカルト脱会支援やカルト問題啓蒙の活動に尽力している方です。その立場から瓜生氏は言うのです。「こちらの『正しさ』をもって相手の『正しさ』を説き伏せようとしてもほぼ不可能」。
宗教に限ったことではありません。政治信条でも、対人作法でも、自分なりの「正しさ」から自由な人はいません。それだけでなく、自分とは別の正しさに依拠する人たちを「騙されている愚かな人たち」「強者にすがる弱い人たち」と半ば見下してしまうこともしばしばです。瓜生氏はご自身の体験から、それらは全く的外れといいます。カルトでさえ、信者たちはみな個性的で判断力もあり、ネットなどから自分たちへの批判情報もきちんと把握をしているというのです。まして一般社会において誰も思考停止などしていません。しかしどんな場面でも、一旦自分なりの「正しさ」を見い出したなら、それを頼りにして他の矛盾に目をつぶることはできてしまいます。それを自分がしていないと胸を張れるでしょうか。
「最も大事なのは、自分が『正しい』と思った道を貫き通すことではなく、立ち止まって考え、しっかりとブレることのできる勇気を持つということ」と瓜生氏は指摘します。「絶対善」の座から降りてブレることのできる勇気は、相手への尊重と肯定から生まれます。これは社会変革を目指す活動においても、参考になる態度ではないでしょうか。