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特定非営利活動法人アーユス仏教国際協力ネットワーク

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その他の地域2022/04/27

【ウクライナ】国境を越えたつながりで生かされる支援


2月24日に始まったロシア軍のウクライナ侵攻ですが、ますます終結の見込みが遠ざかっているように思えます。

アーユスは、当初は馴染みのない地域でもあり、手がかりもつかめずにいましたが、多くの人が傷つき街が破壊されている事実を忘れてはいけないと協力先を探したところ、1991年からウクライナでチェルノブイリ原発事故被災者の支援活動に取り組んでいる「チェルノブイリ救援・中部」が声明を出し、また緊急救援活動を開始したことを知りました。チェルノブイリの関係で活動されていた団体ならば現場に通じていて、知己の方も多く信頼がおけるだろうと、安心して募金活動を開始。また、パートナーNGOであるJIM-netからも、日本チェルノブイリ救援基金が緊急支援を始めたと聞き、大きな支援はできなくても、顔の見える支援ができていることに信頼をおいて協力させていただくこととなりました。

ほぼふた月がたった4月21日(木)に、現地の状況や支援の進捗、さらに長年にわたりウクライナやベラルーシに関わってきたからこそ持っておられる現地への思いを伺いたいとオンラインでの報告会を開催しました。ゲストは、神谷さだ子さん(日本チェルノブイリ連帯基金)、河田昌東さん(チェルノブイリ救援・中部)のお二方です。


神谷さだ子さん(日本チェルノブイリ連帯基金)のお話

日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)は、1990年からチェルノブイリ原発事故の被災地であるベラルーシでの医療支援・交流活動を行ってきた団体です。ベラルーシとモスクワに事務所をおいてきたことから、ベラルーシにはたくさんの知人がおられるほか、ウクライナも何度も訪問されてきました。神谷さんは、ベラルーシにロシア軍が集結している、軍事演習が始まった、と報道されていたころから緊張感をもって見守っていましたが、プーチン大統領が巧妙な駆け引きに出ているのであってまさか軍隊をウクライナに侵攻させるとは思っていなかったそうです。

大変なことになった、ということで手を尽くし、イラクから日本に逃れている医師のリカー・アルカザイルさんを通じて、ウクライナ西部のザカルパッティア州・ウジホロドの、カトリック教会とつながることができました。JCFがイラク支援をするなかで、ISの迫害の危険にさらされていたクリスチャンであったリカー医師を松本に受け入れたご縁が、この支援の発端となったのです。

ウジホロドは、ポーランド・スロバキア・ハンガリー・ルーマニアに接している国境の街。多くの方がここから国外に避難しようとしているのが、教会の神父さんが撮影されたという長い長い車の列の映像などからも実感できました。当初は国境から200メートルほどのところにテントを張り、食料品を温めて提供し、国外に向かう人に食べ物を持たせる支援をしていましたが、現在はウジホロドにとどまる方々への支援が中心になっています。避難してきたお母さんや子どもたちは、夫や父を戦場に残して逃れることを辛く思っているのか、「ここにとどまりたい」「少しでも戦闘がおさまったら、キエフやハリコフに戻りたい」と話されて、国境の町で戦火の行方をみている方が多いとか。地域の教会や公共のホール、スポーツジムなども開放して避難された方をサポートしているとのことでした。

ウクライナ国内のほか、ポーランドのクラクフにおられる日本人画家・宮永さんの協力を得て、避難されてきた方のサポートにも取り組んでおられるのですが、ポーランドでも街の人や自治体がしっかりと支援体制を整えている様子もうかがうことができました。


河田昌東さん(チェルノブイリ救援・中部)のお話

1990年4月に設立して、その年の8月にはウクライナを訪問したというチェルノブイリ救援・中部。当時、ソ連のなかで住所のわかる新聞社や労働組合などに片っ端からお手紙を出して初めて返事が来たのが、現在のウクライナ・ジトーミル州にあったローカル新聞社「ジトーミルスキー・ヴィスニーク(ジトーミルの飛脚、の意)」だったそう。今回の緊急事態においても、当時からお付き合いのある現在の代表、イェフゲニア・ドンチェヴァさんと緊密に連絡を取り合いながら、支援を行っています。

ジトーミル州は、ウクライナの中でもチェルノブイリ原発事故の被害をもっとも深刻に受けたところです。これまで病院支援、子どもたちへの粉ミルク支援のほか、被爆のひどい事故処理作業者への医薬品・車椅子の支援、内部被曝を減らすためのプロジェクト、そして子どもたちへの奨学金やクリスマスカードのやりとりといった交流活動を続けてこられています。最近では、福島県南相馬市の小学校との交流事業にも力を入れていました。

今回、ロシアが北側から侵攻したため、このジトーミル州も大きな爆撃を受けました。カウンターパートの事務所はもちろん、クリスマスカードなどで交流をしていた小学校も破壊されました。昨年のクリスマスにもカードを届け、またお返しのカードを2月に受け取ったばかりだったというのに、子どもたちがどうしているかの情報もまだなく、本当に辛いと実感を込めてお話されていました。

今回の支援は、同地域のナロジチ病院に支援をしてきたドイツの団体「アクション・チェルノブイリ」と連絡をとることができて実現しました。ウクライナのパートナー「チェルノブイリ・ホステージ基金」から必要な物資のリストを送ってもらい、日本からドイツに送金して「アクション・チェルノブイリ」が物資を購入してポーランド国境のプシェミシル(ジトーミルから約600km)に運び、ここにチェルノブイリ・ホステージ基金が受け取りにいき、州内の必要なところに配付しています。いま、爆撃はおさまっていますが、こうした方々の連携で支援が可能になったのです。


「チェルノブイリ」から関わってきたお二人として

河田さんも神谷さんも、やはり気になるのは原発のこと、そして被爆のことです。

神谷さんは「チェルノブイリ原発が占拠され、労働者が人質にとられたというニュースを聞いた時には本当に怖い思いをしました」と話され、河田さんも「占拠後に電源を切ったという情報にはゾッとしました。使用済み燃料が今も熱を持っているので冷却装置で冷却水を循環させているのですが、それが働かなくなったらどうするのかと思いました」「南部にあるヨーロッパ最大のザポロジエ原発も爆撃されたのは研修施設でしたが、管理棟に落ちていたらと思うと…。原発と戦争は両立しないのです」とはっきり述べられました。

また、「あとから知ったのですが、チェルノブイリ原発のすぐ近くにある「赤い森」(放射能の強烈な汚染によって森の木が死んでしまっている)にロシア軍が塹壕を掘って、ひと月も滞在していたといいます。膨大な被爆をしたと聞いていますが、彼らも戦争の被害者なのです」と、戦争の被害者はロシアかウクライナか、ではない点も指摘されていました。

さらに、これまでウクライナに限らず様々な方と協力してきたからこその思いも伺うことができました。

神谷さんは長年ベラルーシやロシアの方々と連携して活動に取り組まれてきて、「ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、どこも国ということではなく、大変なことが起きているから協力しあって人道支援をしよう、とやってきたわけで、プーチン大統領のいろんな発言から「ロシアは」と(大きな主語で)言ってほしくない気持ちがあります。ロシアの人たちに今回の支援のことを伝えると「私たちもそれを手伝いたいです」とおっしゃっていましたし、ベラルーシからも「何かできることはあるのか」との声が届いています。為政者の発言にとらわれずに国を超えてつながってできること、それを停戦に結びつけられないか、という想いが強くあります」と訴えました。

河田さんも「今回、ロシアという国がウクライナを攻めている、という構図が示されていますが、これはウクライナ人とロシア人の争いではなかったはずなのです。チェルノブイリの支援に取り組む時に手紙を書いたとお話しましたが、これはロシア語に翻訳してもらいました。この翻訳をしてくださった名古屋に住むロシア人の方は、我々の活動をずっと支え続けてくださいましたし、戦争反対の活動もしていますが、日本の世論が厳しく自分がロシア人であることをしんどく感じて泣いていると言います。そんなことはあってはならない。あくまで、政治をする人たちが起こしていることと考え、それにとらわれずに両方の人たちの声をききながら、人道支援に取り組む必要があるのではないかと思います」と話されました。

戦争の傷跡が大きく残ることは避けられません。しかし、分断ばかりをすすめるのではなく、人と人とのつながりを信じて、つながっていくことも忘れてはならない。それを忘れると対立しか残らない。長年のつながりを通じて、顔の見える支援に取り組むお二人からお話をお伺いしたからこそ、それを強く感じる報告会となりました。