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エンゲイジドブッディズム

エンゲイジドブッディズム2022/06/29

【6月】語られない歴史に連れられて


スープとイデオロギー』というドキュメンタリー映画が上映中です。

 映画は通常、監督が想定するひとつの枠を可視化する作業と言えると思いますが、それが覆されるのがドキュメンタリーの面白さ。当作もまた、おそらく監督の当初の思惑とは、かなり違った着地点になったと思われます。

 映画の主人公はヤン ヨンヒ監督の母親。大阪で一人暮らしを続ける彼女のもとに、娘が婚約者の男性とともに訪れます。娘のパートナーに丹精込めて丸鶏のスープを作る母の姿とその思いを追いながら、物語は進みます。

 ヤン監督は在日2世。父は韓国済州島出身で大阪で生涯を終えました。監督の母は大阪で生まれ育ち、結婚し、夫と死別しても大阪暮らしです。

 両親ともに熱心な朝鮮総連の活動家であり、帰国事業では3人の息子を北朝鮮へ送って、その後はずっと仕送りをしています。そんな母をヤン監督はすこし冷ややかな目で見ていました。自分の生活が苦しい中でも仕送りをしたいと望むのは、親子の情はもちろんながら、拘りや信仰のようなものを感じて不快だったからです。

 その正体を監督は思わぬところから知らされます。済州島から、済州4・3事件の研究者が母を訪ねて、インタビューをしたのです。4・3事件とは、1948年に起こった公権力による住民の虐殺事件で、犠牲者は3万人近くと言われます。実は母は4・3事件の生存者でした。母はずっと大阪暮らしだと思っていた監督には初耳でした。惨劇の様子を人に初めて語った母は、それから急速に認知症が進むこととなります。

 そのインタビューをきっかけに監督は母とともに済州島へ渡り、4・3事件を深く知る中で、母が頑なに北朝鮮を支持したのは、底知れぬ恐怖と悲しみの体験の裏返しであったと想像します。

 この映画は、日本人との結婚は絶対に許さないと断言していた亡き父の思いに反して、伴侶として日本人を選んだヤン監督が、そのパートナーを母に紹介するところからカメラが回り始めます。おそらくは、当事者それぞれの複雑な思いを映像化する狙いがあったと思われます。結果的にその「複雑さ」が監督の想像を超えていたことは、監督としても、娘としても、幸いだったと思いたいです。記憶の掘り起こしが母の認知症の進行を後押ししたとしても、それにより母が亡き夫や失った息子を家の中に探し求め始めたことに、少しの安堵さえ覚えさせたのでした。

 私たちは語られた事実しか知りえません。その陰に、語られなかった多くの事実があることは当然の前提として押さえておくのが歴史への礼儀というものでしょう。人に相対する時も、その人の選択の根底にある、語られない諸々にまず想像力を持つことから始めたいと思うのです。そういう敬意は、自分を、思いもよらぬ着地点へ連れていってくれるかもしれません。(アーユス)