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胸がふさがれそうな報道が多い中に届いたのが、映画『ドライブ・マイ・カー』のアカデミー賞国際長編映画賞受賞の報です。説明的なセリフをほぼなくして観客の解釈と想像を許す、とても「語りたくなる」映画です。
同作品は村上春樹の原作に加え、劇中劇のチェーホフの『ワーニャ伯父さん』がもう一つの柱として構成されています。その劇の作り方が、日本語、韓国語、北京語、そして韓国手話など、多言語が交錯するもの。さらにその稽古では、役者はセリフを、感情を入れずに読むことをただただ求められます。その方法に慣れていない役者から「これでは上手くできない」と訴えられた演出家はこう答えます。「上手くやる必要はないんです」。
「上手くやる必要」。演劇の場でなくても、私たちは日常において「上手くやる」ことをつい志向します。しかし他者との対峙に必要なのは、「上手くやる」こと以前に、虚心に自らを受け止め、他者の前に差し出すことかもしれません。作品中のこんなセリフが刺さります。「本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです」。
わたしには韓国手話がわかりませんが、『ドライブ・マイ・カー』では、韓国手話がとても印象的に使われていました。そう言えば今年のアカデミー賞で作品賞を獲った『コーダ』は、ろう者ばかりの家族の中にひとり健聴者として育った主人公の物語ですが、登場人物たちの手話表現の豊かさに目を奪われたものです。両作品とも、「ろう文化」と「健聴文化」との他文化並列の物語でもあると感じました。今年のアカデミー賞受賞2作品を観て、今、世界は、他者他文化との向き合い方を改めて問い直している時期なのかもと考えています。