ジョニー・デップが製作・主演を務めた映画『MINAMATA』が上映中です。主人公のモデルとなったユージン・スミスは水俣病の患者を撮り続けた写真家。映画に関連して、彼の写真集や評伝『魂を撮ろう』も発刊されました。それらから、水俣病を知らない世代の方はもちろん、水俣病の記憶が薄れてしまった方にもあらためて水俣病を知っていただきたいと願います。水俣病「事件」には日本社会の問題が凝縮されている感が私にはあります。きちんと対応していれば、その後に起きなかった悲劇は少なくなかったのではと。
水俣病は、チッソ工場からの廃水に含まれた有機水銀により脳や神経が侵された中毒症です。病気の症状自体も悲惨なものでしたが、患者を苦しめたのは、病気のみならず、その社会的対応の酷さでした。
病気の原因は、発生した比較的初期に当のチッソ内で予測されていましたが、会社も調査にあたった東大も国も、隠蔽に走り、事態を過小にしか認めませんでした。当時のチッソは日本の産業の中核を担っており、水俣はチッソの企業城下町でした。官民ともに、責任を認めることの経済的影響を危惧し、被害者を見捨てたのです。
その価値観は市民にも影響を与えました。本来はいたわりあう関係にある市民が、連帯できない構図が生まれてしまったのです。1990年代になり、やっと、人と自然、人と人との関係修復を目指した「もやい直し」運動が提唱され、現在の水俣市はそれらの経験を生かした先進的な街づくりがなされています。しかし熊本県のホームページには「『水俣病』という名称が出身地差別を生んでいるので病名変更をしてほしい」という市民の要望が今も掲載されていることからも、地域が負った傷の深さはまだ底が見えていません。
これらからは、福島原発事故後のさまざまを連想してしまいます。また、新型コロナへの場当たり的な対応にも通じるものがある気がします。経済の前にいのちが見失われていないか。市民どうしが理解し協力しうるための知恵はあるか。フェイク情報に躍らされないための眼と肝を持っているか。水俣病「事件」が問う課題は、残念ながら極めて今日的で、普遍的でさえあります。水俣病の経験を一地区の悲劇と看過してきたことが、他地区で同じような事例を生んでしまったとも思えます。過去から、あるいは他所から学ぶことを怠ってきたつけは、今学ぶことで払うしかありません。(アーユス)