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エンゲイジドブッディズム

エンゲイジドブッディズム2020/08/28

【8月のメッセージ】「このろくでもない、すばらしき世界」を生きる作法


 「このろくでもない、すばらしき世界」。
 缶コーヒーに添えられていたこのコピーを、ブレイディみかこさんの新刊『ワイルドサイドをほっつき歩け』(筑摩書房)を読んで思い出しました。前著の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、イギリスの労働者階級の子どもたちが、差別や貧困の他を筆頭に、さまざまな困難をそれぞれの形で乗り越えようとする姿が生き生きと写し出されました。一転して新刊『ワイルドサイドを~』の主人公はおっさんたち。イギリスの労働者階級の中高年男性です。彼らのイメージは一般的にはかんばしくありません。高圧的で差別的で下品で知性に欠けると。

たとえば、本書で最初に登場するのは典型的な労働者階級の自動車修理工。EU離脱に賛成したためにパートナーや息子と喧嘩になり、関係修復の覚悟を示すために上腕に入墨を入れるのも、なんとなく典型的。しかも漢字で「平和」と入れる予定が、間違えて「中和」になってしまったという出来過ぎたような話でした。

 前著を読んだ時に「この著者の周りには不思議と魅力的な親子が集るのだな」という思いを抱きました。今著でも同じことを感じ、そして気付きました。著者の周りに面白い人が集っているわけではなくて、彼女の目がそうさせるのだと。ろくでもないとされている人たちにも愛すべき一面があり、つまらない人生を送っているように見える人にも共感せざるをえない思いが秘められていることに、ブレイディさんの目が届いているのだと。本書に登場するおっさんたち、表面的に見れば、ちょっと距離を置きたくなる人ばかりです。しかしそのつぶやきを拾っていく中に、愚痴をこぼしたり悪態をついたりしたくなる事情も垣間見えてきます。すると「彼らといてもいいな」と思えてしまうのです。

 いてもいいなとは思えても、相入れないことは残ります。仲良しになるわけでもありません。でも、いてもいいなと思う。それは人間の智慧の範疇と思います。表面的な違いや個別的な対立をもって全面的な断絶や排除へと単純に向かいがちな私を押しとどめるのは、こぼれたつぶやきを拾えるような距離を確保することでしょう。「自分には偏見があり、想像力は貧しい」と仮定する程度の謙虚さを持つのは現代を生きる作法のように思います。(アーユス)