国際協力の寺
国際協力の寺2026/06/22ツイート
仏共講座#2_1 困っている人は助ける。ただそれだけ

2026年2月5日、「仏共講座|お寺とNPOがともに考える多文化共生 #2」を名古屋・東別院にて開催しました(協力:TERA Energy株式会社)。
宗教者とNPOがそれぞれの現場から実践を持ち寄り、「支援」や「共生」をあらためて問い直す場となりました。登壇したのは、曹洞宗・徳林寺前住職の高岡秀暢さん、名古屋難民支援室コーディネーターの羽田野真帆さん、真宗大谷派・圓光寺住職の大東仁さん。それぞれが愛知県を拠点に多文化と向き合ってきた実践を、率直な言葉で語りました。
本レポートでは、高岡秀暢さんの発表をご紹介します。「支援」を”特別な活動”としてではなく、”当たり前の日常”として続けてきたその歩みに、多文化共生のあり方を考えるヒントが宿っています。
報告:霍野廣由(僧侶、アーユス、TERA Energy)
「困っている人は助ける。ただそれだけ
──ネパールから名古屋へ、日常として続けてきた共生の実践」 徳林寺前住職・高岡秀暢さんの取り組みから【仏共講座#02レポート1】

徳林寺前住職の高岡秀暢さん
経典を一冊手に、ネパールへ
──社会への違和感から、自らの立ち位置を探す
高岡さんの出発点は、1970年代に遡ります。ベトナム戦争や安保問題など、時代のうねりのなかで「このまま社会に出ていけるのか」と自問する日々。寺を継ぐことにも踏み切れず、日本を離れ、ネパールへ渡ります。
そのころ、キリスト教徒が聖書一冊を携えて生きているという話を耳にし、「ならば私は仏教の経典で」と思い立ちました。経典を読み続けるうちに、「この言葉を軸に生きていける」という確信が生まれ、それが高岡さんの人生の再出発となりました。
「社会をどう見るか。その視点を、経典から出発できるのではないかと思ったのです」──高岡秀暢さん
ネパールでは、中国出身の王さんという人物との出会いが転機となります。渡航後、原因不明の高熱と下痢に苦しんでいたとき、王さんが無償で部屋を貸してくれました。その部屋を拠点に取り組んだのが、ネパール仏教の文化保全活動です。サンスクリット語の写本を代々受け継いできたネパール仏教の伝統には、法華経や般若経など、日本でもなじみ深い経典の原典が残されています。しかし、その存在は日本ではほとんど知られていませんでした。
「プロは誰もいなかった。みんなアマチュアで、何も知らないところから始めた」
専門家でも研究者でもない仲間が集まり、写本のデジタル化などの地道な作業を続けた約10年間。「遊びながら仕事をするような、楽しい日々だった」と高岡さんは笑顔で振り返ります。肩書きも国籍も超えて、食事をつくり、語り合い、支え合う。その経験が、「ともに生きる」という感覚を高岡さんの内側に育てていきました。
「部屋が空いているから、どうぞ」──支援を”日常”として引き受ける
1985年に寺を継いだ頃から、ネパールからの知人たちが次々と訪ねてくるようになりました。不安定な在留状況にある人の相談、行き場を失った人の駆け込み。やがて寺は、いわば”開かれた家”となっていきます。
「特別な理念があったわけではありません。部屋が空いていたから、『どうぞ』と言っただけです」
その言葉の軽やかさの裏に、人を引き受けることの重さを静かに受け止めてきた歴史があります。当時はまだ不法滞在者への対応が制度的に整備されておらず、警察から「摘発には至っていないが、しばらく受け入れてもらえないか」と電話がかかってくることさえあったといいます。それでも高岡さんの答えはいつも「どうぞ」でした。
地域への存在を知らせたいという思いから始めた「花まつり」には、ネパールの人々が音楽や踊りで参加するようになり、お寺が地域と異文化をつなぐ場へと育っていきました。転機となったのは2011年のことです。長年アフリカ人支援に携わる知人から「これからもっと難民が増える」と聞き、知り合いの大工に協力を仰いで、市民らとワークショップ形式で木造2階建て2棟の宿坊「みんなの家」を建設。アフリカ出身の難民申請者たちを受け入れる場として整えていきました。
そこには、「助ける側/助けられる側」という線引きはありません。ともに住み、ともに働き、ともに食卓を囲む。寺は”支援施設”ではなく、”生活の場”でした。仏教の教えを声高に掲げるのではなく、日々の営みのなかで体現する。高岡さんの実践は、「布施」や「利他」の思想をそのまま生活として実行するものでした。

コロナ禍の「徳林寺大家族」
──60人が山の中で暮らした、お祭りのような2年間
さらに大きな転機となったのが、コロナ禍です。技能実習期間を終えても帰国できなくなったベトナム人たちから「居場所が欲しい」と声がかかり、高岡さんはまたも「どうぞ」と受け入れました。当初は数人だった人数が、最終的には最大60人規模にまで広がっていきます。
テレビ局から「感染が怖くないのか」と問われた時、高岡さんは正直に答えました。
「そこまで考えていなかった。目の前に行き場のない人がいる。それだけでした」
感染対策として、入居時の2週間だけ隔離期間を設け、その後は全員で共同生活を送るスタイルを貫きました。毎日みんなで料理を作り、サッカー大会を開き、太陽光パネルの設置作業を一緒に手伝い合う。山あいのお寺での生活は、「逆に夢のような、お祭りのような2年間だった」と高岡さんは振り返ります。
「世間にはちょっと見せられないような賑やかさだったけれど」
人びとはやがて自分たちを「徳林寺大家族」と呼ぶようになりました。そこには7〜8か国の人が暮らしていても、「あなたはどこの国の人か」と問う場面はほとんどありませんでした。国籍や文化の違いは確かに存在する。しかし、それが関係性の中心にはならない。
「多文化共生という言葉を、あまり意識したことはありません。ともにいる、ということのほうが大事でした」
仏教でいう「縁起」の世界。人は独立した存在ではなく、関係性のなかで生きているという感覚が、徳林寺の日常には息づいています。

理念よりも、目の前の一人から
高岡さんの歩みは、壮大な計画から始まったものではありません。経典を読み続けた若き日の時間。ネパールでの共同生活。帰国後の「どうぞ」という一言。その積み重ねが、いまの徳林寺を形づくっています。
多文化共生という言葉は、時に大きく、抽象的に響きます。しかしその実践は、驚くほど具体的です。部屋を分け合うこと。食卓を囲むこと。名前で呼び合うこと。
「困っている人は助ける。ただそれだけ」
その静かな覚悟は、宗教者やNPO関係者に限らず、私たち一人ひとりの現場にも問いを投げかけます。理念を掲げる前に、目の前の一人にどう向き合うか。そこから、共生の風景は立ち上がっていくのではないでしょうか。

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高岡 秀暢 (たかおか しゅうちょう) |
ほかの仏共講座#2レポート 予定▶ 仏共講座#2レポート1 ▶ 仏共講座#2レポート2 ▶ 仏共講座#2レポート3 ▶ 仏共講座#2レポート4「「ともにある」ことから、共生は始まる──三者の対話から浮かび上がった、平等と平和の原点」 |
仏共 (ぶっきょう) 講座 #2 ―お寺とNPOがともに考える多文化共生をめぐる対話シリーズ―
▶︎日時:2026年2月5日 (木) 18:00〜21:30
▶︎ 会場:真宗大谷派 名古屋別院(東別院)
▶︎ 主催:認定NPO法人 アーユス仏教国際協力ネットワーク
▶︎協力:TERA Energy株式会社





