エンゲイジドブッディズム
エンゲイジドブッディズム2008/05/10ツイート
海外のエンゲイジブッディスト:ケマサラ師
1988年の民主化運動が盛んな頃、ヤンゴン市内の各地で学生がデモをしていました。また、デモ隊に対して軍が発砲するということもあちらこちらでおきていたことです。その頃、僧院に逃げ込んでくる学生もいる、僧院の前を学生がシュプレヒコールを揚げて通っていく姿もある、中には怪我を負う、或いは死んでしまう、そこに僧侶として出かけることもある。そういうことから、私たちのような若い僧侶が、学生に同情して学生たちと一緒に活動するという機運になっていきました。そして、多くの僧侶の賛同を得て、青年僧侶連盟を結成しました。
私自身はクーデターが起こって暫くしてからタイ国に逃れました。私自身も軍によって追われる身であったからです。しかし逃げてまだ命がつながっている以上は自分も活動を続けなければならないという思いでした。
私たち僧侶はビルマについて言えば民衆の側に立っています。それは民衆の考えていること、行っていることが正しいと思うからです。ただ、私たち僧侶の民主化に向かう努力というのはあくまで宗教者、仏教僧としての活動です。当時、大衆とそれを押さえつけている軍人たちとが明らかに対峙をしていて、どちら側に立つのかという選択を迫られました。国民運動を軍が押さえつけるという状況の中、私たちは民衆の側に立つという決断をしたのです。それは仏様の教え、お釈迦様の教えに基づいた正しい選択であったと信じております。
その時に、私が思ったことは、私たち僧侶は一般信徒らの寄付、喜捨によって生きている。つまり、それを受けるのが僧侶としての義務だということ。私たちは気持ちとしても民衆の側だし、民衆の方が正しいという思いがある。それは、無辜の命を銃で殺すのではなく、当たり前のように平和と民主主義を求めている側が正しいという信念です。そして、そうした民衆こそが私たち僧侶を支えているのだという気持ちがあったから、当然そちらの選択をしました。そこから政治に関わっていったということです。
さらには僧院というのは政治の世界ではなく独立した僧伽の世界ですが、怪しいやつがいるとか、何かの動きがあるとかで、時の権力者が僧院に踏み込んでくるということがありました。軍事政権が、民主化運動に関わっている僧侶を逮捕するという事態になる。その時に軍事政権は逮捕した僧侶に対して2つのうちの一つを選べと言います。1つは、裁判も何もなしで3年の刑に服する。もう一つは軍隊に入る。そうすればおまえのやったことは帳消しになる。そのどっちかを選ぶことを迫ったこともありました。
私たちは武器も持たない、本当に心から平和な社会、民主主義の社会を望み、国民の側に立っています。その国民の民主化への意思は90年の選挙の結果を見れば分かるように、圧倒的に強いわけです。しかし、民主化活動に関わるということになると、国家防御法、日本で言うと昔の治安維持法を適用されて、僧侶も国家反逆罪のようなことで投獄されることも起こっています。
事実、2003年に、ヤンゴンのある僧院で、当時の権力者が宗教行事、お坊さんたちにお布施をする行事を行いました。その時に僧侶の大多数が、軍人から差し出された食べ物などのお布施を拒否しました。それで拒否した僧侶は捕まって19年の刑に処されたという事例があります。僧侶が信徒から出されたものを拒否するというのは、それ自体は宗教の中でのことで政治活動ではないわけですけれども、軍事政権からみると軍人が差し出すものを拒否するのは政治行動、反政府活動であると判断されることになります。
国民の側に立つ私たちのような僧侶は、政治活動をしている僧侶と軍事政権はレッテルを貼るわけです。一方で、軍事政権の御用達というか、言われるとおりに唯々諾々とやっている僧侶もいる。私たちからみるとそれこそが政治的活動をしている僧侶、と言えるわけですけれども、政府は軍事政権を協力する僧侶は宗教者と見なしているのです。
(2006年2月本願寺築地別院にて開催した講演会の講演録より抜粋)
ケマサラ師(ビルマ僧侶)
1956年にビルマで生まれる。13歳で仏門に入り、仏教関係の雑誌などに宗教・文化についてのエッセイやイラストを発表。1986年からビルマの人権と民主主義の獲得のための運動に、ヤンゴンを拠点に参加する。「青年僧侶連盟」を指揮し、中核メンバーの一員として活躍する。1988年、軍部によるクーデターの後は、タイ・ビルマ国境に基盤を置き、「非暴力の方法」で他の民主化勢力と同盟を組み、ビルマで人権が認められ民主化を獲得するため、和平活動を展開してきた。現在も、ケマサラ師は海外で民主化運動を続けている。世界各地の活動家と連隊を図り、各国の要人にビルマ情勢を訴え続けている。