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エンゲイジドブッディズム

エンゲイジドブッディズム2023/05/31

【5月】語り手の言葉を受け止める


 1年前の今頃。NHKの朝ドラ『ちむどんどん』が話題になっていました。
 返還50年の節目に沖縄が舞台。どれだけ骨太の、あるいは温かな作品になるかと期待した人は多かったでしょう。しかし、主人公をはじめ、登場人物の行動がとっぴでなかなか感情移入できません。ストーリーもご都合主義。なにより、沖縄出身者の物語なのに、それが生かされていません。戦争の話は後に出てきましたが、基地を思わせるシーンは半年間で一瞬だけ。海洋博は作品世界には存在しませんでした。もやもやした視聴者は少なくなく、SNSではドラマにツッコミを入れる「ちむどんどん反省会」が盛り上がりもしました。
 しかし聞くところによると、当の沖縄の人たちは、『ちむどんどん』を楽しんでいたとのこと。本土の者が、あの作品を沖縄の方たちに失礼だと考えてしまったのは、むしろ不遜なことだったかもしれません。
 そんなことを思い出させたのは、今月に出版された『沖縄の生活史』(みすず書房)を手にしたことからでした。
 同書もまた返還50年の節目にだされました。『沖縄タイムス』が「沖縄の生活史(生い立ちと人生の語り)プロジェクト」をまとめたものです。収められた語りは100名分。聞き手を務めるのは、語り手の子や孫です。100名というのは決して多数とは言えませんが、850ページ、厚さ6cmの重量の中に詰められた100通りの人生は、どれひとつとして、交換可能なものはありません。家族皆での大笑いの話もあれば、悲惨な戦争や被差別の体験もあります。
 話を聞くにあたって、ひとつのルールが課せられたそうです。それは「できるだけ質問をしない」。こちらの聞きたいことを聞くのではなく、語り手がそのとき語りたいと思ったことを自由に語っていただくよう「積極的に受け身になる」ことが、豊かなディテールに溢れた語りを得られたといいます。
 それぞれの人にそれぞれの人生があります。当たり前のそのことを、しばしば忘れがちだと自戒します。『ちむどんどん』に私が失望したのも、私の中の「沖縄イメージ」からずれていたことも一因だったかもしれません。先入イメージから離れて、それぞれと虚心に相対することの大切さを改めて思います。(アーユス)