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エンゲイジドブッディズム

エンゲイジドブッディズム2022/07/01

2007年夏、ビルマで僧侶は・・・ ①


 ビルマのラングーン市内の目抜き通りが、赤い袈裟で埋め尽くされてから3年。突然の燃料費の高騰により、国民の生活はますます苦しくなった。その状況を憂慮した僧侶たちは、「政府は国民の声に耳を傾け、国民の暮らしを守るべきだ」と、「慈経」を唱えて歩いた。この動きはあっという間に全国に広がり、ヤンゴン市内だけで15万人の僧侶・尼僧が歩いたと言われている(『弾圧の実態』ヒューマン・ライツ・ウォッチより)。
 しかし、政府はデモを抑圧し、僧院までも襲撃し、多くの僧侶が逃げた。暴行によって命を落とした僧侶もいた。なかには国境を越えて逃げ延びた僧侶もいた。また、200名以上の僧侶・尼僧が逮捕されて刑務所に入れられたままだ。
 歴史を振り返っても常に統治者の助言者であった、ビルマの僧侶たち。国民のために国がすべきことを、してはいけないことを忠言してきた。そして、2007年以降も、まだ動きは続いている。
 今回は、デモに参加し、その後インドに逃げて活動を続けているアシン・ターワラ師が来日されたので、2007年に何があったのか、なぜこれほどの僧侶が参加したのか、そして今後の期待をお話いただいた。(2010年10月発行 ayus Vol.94掲載記事)


大規模民主化デモに参加した僧侶が語る、ビルマの現状と僧侶の役割

■人々に寄り添う僧侶

ー 2007年のことを詳しくお聞きできればと思います。僧侶の方が集まってデモに参加されるようになった経緯を教えていただけますか。

(ターワラ師) 2007年8月中旬に突然燃料費が高騰し、物価が数倍値上がりました。それで22日に、1988年の民主化運動のリーダーであったミンコーナイン氏などが立ち上がり、燃料と生活の不安を解消するように訴えたのですが、その動きはすぐに軍によって弾圧されたのです。しかしそれにも関わらず抗議行動は各地で続いていました。
 そして、パコックーという町でとうとう僧侶が500名くらい集まり物価上昇を抗議するデモを行いました。すると、やはり軍がすぐに介入し、僧侶の頭上に向けて発砲した上に2人の僧侶を捕まえて電柱にくくりつけ、殴る蹴るという暴行を加えました。その後、僧侶たちが謝罪を求めましたが、やはり政府は謝罪しませんでした。それをきっかけに、覆鉢(注2)の行動を取る話が持ち上がりより多くの僧侶が賛同してきました。

— あれだけ大きなデモがおきるくらいに、ビルマの人々の生活状況は悪化していたのでしょうか。

(ターワラ師)国民の生活は大変で仕事もありませんでした。そんな中でそういうことが起きたのは、もともと国民自身が状況をどうにかしなければいけないと思っていたからです。現在、ビルマ人はカンボジアまで出稼ぎに行っています。それくらい生活に困っています。ビルマの労働者の一日の稼ぎは、平均して1ドルに達していません。これからも生活の苦しさがわかると思います。
 ビルマというのは、木材、天然ガス、宝石などの資源が豊かな国であるにもかかわらず、これだけ貧しいのは考えられないことです。以前は、タイからビルマに買い物にきたくらいです。しかし、政府が全てを支配し、国民の暮らしを圧迫しているために国民の生活は苦しいままです。私は僧侶としてこの状況を平和に解決できればと思っています。

— ビルマにはいろいろな僧侶のグループがあるのですが、ターワラ師は全ビルマ僧侶代表委員会(ABMRC)の書記長でいらっしゃいます。デモの時は、全ビルマ僧侶連盟(ABMA)が活躍したと聞いていますが、どう違うのでしょうか。

(ターワラ師) 全ビルマ僧侶代表委員会とは、僧侶が国内では口にしづらい話を一旦海外に流してから、再度ビルマの国民に伝える活動をしています。民族の統一とビルマの民主化、国民の和解を目指しています。2007年9月19日に結成されました。全ビルマ僧侶連盟は、ビルマ国内にいる僧侶のための活動をしています。私はこちらにも参加しています。

— 燃料が高騰する前から、僧侶の間でビルマの情勢についての話し合いはされていたのでしょうか。

(ターワラ師) はい、その前からビルマの状況を心配していました。僧侶が政治に参加したのはそのときが始めてではなく、以前からありました。1990年に、国民民主連盟(NLD)が選挙で8割の議席を獲得して圧勝したにも拘わらず軍事政権が政権の委譲をしなかった時も、覆鉢を行いました。またその後も、僧侶たちは国民のためには何かしたいと思っていました。

— 軍事政権がやりたいことに沿って活動している僧侶もいるのでしょうか。

(ターワラ師) お釈迦様の時代から僧侶が一つにまとまっていたわけではありません。王様の味方につく人と、国民の味方につく僧侶といました。私たちは国民のために活動しています。

— ターワラ師はデモの先頭を歩かれたのですが、軍が暴力を持って弾圧するのは予想されていたことでしたか。

(ターワラ師) 1988年に民主化運動が起きた時に4歳で当時のことも見ていたので、2007年の時にも軍事政権があのような残酷な行動に出るだろうと予想していました。実際、何かあったときにどうしたらいいのかを考えて、話し合ったこともありました。

— ターワラ師が最初にデモに参加されたのはいつですか。

(ターワラ師) 9月17日でした。パコックーで軍が僧侶に対して行ったことについて軍政に謝罪を求めたのですが、軍事政権が謝罪をしようとしないので17日にシュエダゴンパゴダに各地から僧侶が集まりデモを始めることにしました。そのときは、ヤンゴンにいました。10月2日にインドの大学に進学する予定だったので、その手続きをしている時だったんです。しかし、この事件が起きたので結局は留学できませんでしたが。

— デモの写真を見て思ったのですが、ビルマではデモが禁止のはずなのに、どうしてみんなラウドスピーカーを持っていたのでしょうか。既に準備されていたのでしょうか。

(ターワラ師) 軍事政権が不正なことをやってきていて、国民の中にはほとほといやになってきていたので、こういうものを持っている人もいたんです。もともと、法律にはスピーカーを持っていけないとは書いていませんし。持っていて逮捕されるのは不当です。そもそもお寺は僧侶大会用にあ持っていたので、デモの時はスピーカーに書いてあるお寺の名前を消して使いました。買ってきた人もいると思います。

— デモの先頭を歩くようになったきっかけは?

(ターワラ師) 私自身、先頭を歩いていることは覚えていません。写真を見て、先頭にいたことに気がつきました。ビルマVJ(注3)も見ましたが、撮影されていたから先頭を歩いたわけではないですよ。

▼アシン・ターワラ師(2010年の写真とプロフィール)

 1984年、イラワディ管区で農家に生まれる。2003年、ダンマサリヤの試験に合格するが、アウンサンスーチー氏と会ったことを理由に資格剥奪。2007年9月19日に結成された全ビルマ僧侶代表委員会の書記長となり、ラングーン市内を市民とともに行進する。その後、当局の追跡を逃れて国内で潜伏し、2008年1月にバングラデシュ国境を越えてダッカのUNHCE事務所で政治亡命を申請。現在はインド・ニューデリーを拠点に、全ビルマ僧侶代表委員会書記長として民主化活動を国外から支えている。


(注1) サーサナモリ
 国際ビルマ仏教僧協会。海外在住のビルマ僧が中心となって、2007年に結成。政府が僧侶に行ったことに強く懸念し、民主化を支持し活動しているネットワーク。
(注2) 覆鉢(ふくばち)
 特にテラワーダでは、僧侶は托鉢によって日々の糧を得ている。在家信徒にとって鉢に食べ物などをお布施するのは功徳を積むことになる。覆鉢というのは仏教の教えに反する行為をする在家信徒からの食事を受けない、拒否することで相手に徳を積ませなくさせ、反省を促す行為である。2007年の9月は、デモに出た僧侶たちは政府関係者に対して覆鉢を行い、象徴として鉢を逆さまに手にしてデモをした。
(注3) ビルマVJ 消された革命
 軍事政権の情報統制に抗い、命がけでビルマの現状を世界に配信し続けるビデオジャーナリスト(VJ)たちのドキュメンタリー映画。2007年にどのように僧侶と市民が立ち上がり、いかに多くの市民がその動きを歓迎したのか、そしてどのように軍事政権が弾圧していったのかが克明に描かれている。