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エンゲイジドブッディズム

エンゲイジドブッディズム2021/01/27

【1月】光を見る勇気さえあれば


 トランプ支持者によりアメリカ連邦議会議事堂が占拠されたのは1月6日。アメリカの分断の深刻さを見せつけたかのようなこの事件に突き動かされて一遍の詩が生まれました。アマンダ・ゴーマン。22歳の黒人女性は、その1週間後に行われたジョーバイデンの第46代アメリカ合衆国大統領就任式にて、その詩を朗読しました。それは暗示や比喩や引用に満ちたもので、さまざまな解釈が可能です。
 中にこんな一節がありました。

「うつむいた顔をあげ、人と人とを分かつものではなく、私たちの先にあるものを見つめよう。 人びとの間に入った亀裂を塞ごう。未来を第一に考えるなら、互いの差異はまず脇におくべきと学んだのだから」

 ここでアマンダは、トランプを象徴する「第一=first」という言葉を肯定的に捉え直しています。また、その他の箇所では「arms」という単語を続けて使い、それぞれに「武器」と「手をつなぐ」という別の意味を持たせてもいます。そこにあるネガティブなものをポジティブなものへ転じていこうという意志が見て取れます。
 5分に及んだ朗読は、こう結ばれました。 

「光はいつもそこにある。私たちにそれを見る勇気さえあれば。私たちが光になろうとする勇気さえあれば」

 僭越ながら、アーユスが取り組んでいる「街の灯支援」は同じ文脈上にあります。その上で、光が光として生かされるには、ものごとを他人事にしない勇気の介在が必要であるという指摘には背筋が伸びる思いがしました。
 就任式ではアマンダが最も注目されましたが、他の発言者たちにも共通して感じられたのは、言葉への責任感です。いや、それらを回復させようという強い意向が就任式全体にありました。前政権の4年間は言葉からの信頼剥奪の連続でした。フェイクの言葉を量産し、他の言葉をフェイクと断じ続けた先に分断が深まるのは必然でした。
 翻ってわが国に、言葉への責任を重んじようとする動きが出るのはまだ先のようです。この状況を甘受しているうちはその日が訪れないことは確かでしょうが、あきらめることはありません。私たち自身が光を見る勇気さえあれば。(アーユス)