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エンゲイジドブッディズム

エンゲイジドブッディズム2015/08/27

心を動かされる、お布施をする。


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 安保法制案に反対する学生達が、ハンストを始めたと聞いて、ふとちょっと前に書いた記事を思い出した。これはAPLAが出している機関誌「ハリーナ」用に書いたものです。アーユスのサイトでも共有しますね。


 

心を動かされる、お布施をする

 親しくしているお坊さんの1人といつものようにおしゃべりをしていた時、彼が湾岸戦争の時に、渋谷駅前でおこなったハンガーストライキのことに話題がうつった。彼が所属している教団の僧侶1人と信者の方1名が、開戦した1月17日からしばらくおこなっていたが、2月に入って続ける人がいなくなったために彼が引き継いだという。停戦となった2月27日までの約3週間、彼は1人でハンストをおこなった。

 よく身体が持ちましたね、というと、長期戦になると見込んで梅湯を1日一杯ほど飲んでいたから大丈夫だったとのこと。水分と塩分さえ取れば、人はかなりの間、生き延びることができるものなのだ。とはいえ、後半になると体力の低下は顕著になり、歩行するのがやっとだったらしい。

 「お経を唱えながら座っていただけで、お皿を置いていたわけでもないしお願い文を貼っておいたわけでもないんだけど、全部で30万円以上集まったんだよ。私の前に2人が座っていたときは50万円以上集まったはずだったな」

 私は、妙にこのことに感心した。これこそがお布施だろうなとも思った。尊いことをしている姿を見たときに、それが自分にはできないと思うことであれば尚更、人は「ありがたい」という思いと、そこに何か寄与したいという思いに、心を突き動かされるのだろう。

 当時、アメリカに居た私は、「Gulf Crisis」が「Gulf War」に変わりいく中、いわゆるリベラル派を標榜する人たちでさえ、「フセインの独裁を倒すための戦争は正しい」と戦争を肯定していた姿を見ていた。湾岸戦争勃発のころ、世論はむしろ戦争を支持していたのだろう。それでも、反戦を願い座り続けていた姿に、心を動かされた人たちは少なからずいた。

 座っていたのがお坊さんだったからなのかもしれない。しかし、この人を支えたい、自分はできないけどお願いします、という気持は、良くも悪くもその人の姿から発する力に押し出される時があるのだと思う。正義か悪かの判断を超えたところで、人は人によって動かされる。怖いことだ、とも言える。(mika)