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特定非営利活動法人アーユス仏教国際協力ネットワーク

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福島/脱原発/東日本

福島/脱原発/東日本2017/02/23

震災から6年、南相馬訪問


震災から6年、
南相馬訪問 仮設住宅のサロン活動から災害公営住宅の自治会運営へ

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 12月に南相馬市に行ってきました。ここは、津波被害を受けただけでなく、福島第一原発事故の影響を強く受け、一番南に位置する小高区は警戒区域、その北側にある原町区は緊急時避難準備区域、そして一番原発から遠いところに位置する鹿島区は指定無しとされていました。東京電力からの損害賠償金や精神的保証金の金額や支払われる期間などに違いがあったために、住民の間での不信感が生じたと聞いています。 アーユスが協力している日本国際ボランティアセンター(JVC)は、震災後に出来たNPO「つながっぺ南相馬」が行う仮設住宅でのサロン活動を支援しています。サロンには責任者を置き、住民を迎え、体操などの身体を動かす活動から、カラオケ教室の開催、手芸の会など、様々な活動を行ってきました。

 震災から6年近く経つ現在、かなり多くの人々が新しく家を建てる、子どもや親戚の家に身を寄せる、災害公営住宅に引っ越すなどで、仮設住宅から離れていっています。その状況を受けて、サロン活動も今年度いっぱいで終了することになりました。

災害公営住宅でのサロン活動

災害公営住宅でのサロン活動

 しかし、一旦は仮設住宅から出た人たちの中には、サロンに遊びに来る人も多くいます。仮設住宅に戻ってくる人もいるとか。それだけ、仮設住宅であっても居心地のいい空間が生まれ、仲間ができたということであり、それには充実したサロン活動が一役買ったといえるのではないでしょうか。新しいコミュニティの形成に繋がったのだと思います。

 また、災害公営住宅に引っ越しをした元サロン運営者の1人は、引っ越し先でも自治会づくりに励み、自治会主導によるサロン活動を始めました。私たちが訪問した時は、箸でビー玉をつまんで別の皿に移していくゲームをするなどで、笑い声が絶えることがないほどでした。

 災害公営住宅は、元々住んでいた場所は関係なく抽選で人が集まってくるために、それこそ賠償金の違いなどからくる不信感などがあって自治会運営が難しいと言われています。しかし、それを乗り越えてまとまった活動が生まれたのは素晴らしいことであり、それには「つながっぺ南相馬」の活動がサロン活動の意義を示し、スタッフのやる気と意志を高めたからだと思います。

浪江町の海岸から福島第一原発が見える。

浪江町の海岸から福島第一原発が見える。

 帰りは浪江町まで行き、3年前にはセイタカアワダチソウで埋め尽くされていた場所が整地され、何かが起きようとしている空気を感じました。しかし10キロ先には福島第一原発の煙突が見えます。まだ収束への一歩を踏み出すこともできずにいる原発を前に、変わりゆく町の様子と、変わらない事故処理の状況を思い、今後の「復興」への道の複雑さを感じました。

浪江町。2011年3月11日の大地震により、道路がずれた様子がよくわかる。

 JVCは、引き続き災害公営住宅での自治会形成やその取り組みに協力していく予定です。 (M)