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福島/脱原発/東日本

福島/脱原発/東日本2015/02/13

台湾の脱原発運動もろもろ、その2


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台湾の脱原発運動もろもろ、その2

 先日、脱原発運動の関係者に会いに台湾へ行くにあたり、私の関心事の1つは、原住民と原発の関係。結論からいえば、こちらの準備が十分でなく、期待していたほどの情報を集めることも、関係者に会うこともできませんでした。
 しかし、いくつか興味深い学びがあったので、備忘録的にもブログに書いておきます。
 最終日に、同行者の仕事の関係で、ある環境系NGOを訪問しました。ここは台湾の森林問題や原発問題に取り組んでいる団体であり、原住民の問題にも深く関わっているところです。当初は原発問題担当者が不在のために、森林問題についてだけお話を伺えるとのことでしたが、お目にかかって伺ったお話は多岐にわたるもので、原発のことについてもいろいろと伺うことができました。

民主化運動の重み

 これは滞在中、お目に掛かる人全てが口にされていたことですが、台湾は1980年代の後半まで戒厳令が敷かれていたために、1990年代に入ってから市民運動が始まったということ。人権問題を中心とした社会問題に対する運動であり、その中には原発問題も含まれたそうです。
 しかし、既に台湾には原発が3箇所に造られていて、当時の焦点は第四原発の建設。国会が建設のための予算を通そうとしたことを契機に、反対運動が始まったようです。
 ある意味、台湾の市民運動の歴史は浅いとも言えるのかもしれませんが、一方でそのうねりは大きく、結局、第四原発の工事は中止に追い込まれました。

 訪ねた環境NGOの方の、「台湾の原発は、市民が声を上げられない時に建設された。日本はどうだったの」との問いかけは、日本は声を上げる環境はあっても止めることはできなかったのだと、胸にチクリと突き刺ささりました。しかし、日本の原発も、1号機の建設の際は反対運動が起き、それが押さえられ、2号機目の時は既に地元にとって必要なものになったために反対運動が起きなかったというのは、聞いています。
 台湾の第4号機建設工事が中止になったのは、福島原発の事故が大きく影響したとか。皮肉な巡り合わせであっても、台湾の原発を止める原動力になったのは、せめてもの結果かもしれません。事故が起きた国では、再稼働が話題になっていることを思えば、尚更のこと。

原住民と原発

 台湾の核廃棄物は、蘭嶼島という島に保管されています。この蘭嶼島は、ヤミ族という原住民が住む島であり、固有の文化を形成してきました。そこに核廃棄物保管場があります。この保管方法などはかなり杜撰なようで、報道特集がうまくまとめているのでこちらをご覧いただければと思います。

 そして、新たに核廃棄物保管場所を造る予定があったそうですが、それも原住民の土地に予定されていたとか。
 社会的に弱い立場の人たちにゴミを押しつける構造は、ここでも見受けられました。
 それ以外には、石灰を採取するために、ある企業が原住民から土地を騙し取ったことがあり、これに対してはいくつか環境系NGOが共に活動をして、国立公園に属する部分は返却されることになったそうです。

台湾の森林問題と日本

 台湾は山が多い島ですが、木材の自給率は1%以下とのこと。その理由の1つが、日本総督府が統治していた時代に檜の伐採が盛んに行われ、その代わりに植えたのが杉だったことがあるようです。どうも杉は台湾の土壌にあわないために成長が遅いのが、自給率にも影響を与えているとのこと。理由はこれだけではないと思いますが、日本統治時代の政策は、台湾の山の環境のみならず原住民の存在にも影響を与えているとのことです。
 と、話の合間合間に、日本が統治していたときに・・・という言葉があり、たとえば灌漑システムも日本総督府時代に整備されたようですが、これも台湾の地理的環境にそぐわず、うまく水を保水できていないことも伺いました。

 以上、ほとんど備忘録的な報告ですが、台湾の民主化運動と原住民の問題は、再度学んできちんと整理して理解しないといけないと思っています。
 市民運動が第四原発の工事の中止を成功させたのは素晴らしいことです。一方で、まだ既存の原子炉の運転期間延長の問題が残されていること、民主化運動が90年代に比べて下火になっていること、若い世代と90年代から続く市民運動家との間の感覚のギャップなど、日本に引き寄せて共に考える課題があることも実感。国は違えども、同じ課題に対しての議論は経験の共有から始まり、学び会うことが多いです。今後も何らかの形で経験交流できるとありがたいと思います。(M)