福島/脱原発/東日本
福島/脱原発/東日本2016/12/19ツイート
農民発電始まる
二本松有機農業研究会がエネルギー生産に向けて歩み出した
2011 年3 月の東日本大震災の後、福島第一原発の事故の影響は二本松市にも深刻な影響を及ぼしました。日本の有機農業や契約販売 の先駆者でもある二本松有機農業研究会も、放射性物質が田畑を汚染したために、一旦はそれまでの顧客を失い途方に暮れたといいます。 しかし、安全な野菜や米を作ってきた力はただ途方に暮れたままでは終わらせず、試行錯誤を重ねた結果、自らの力でエネルギーまで生産 しようと、新たな取り組みへと進み始めました。
アーユスはAPLA、JIM-NET と協力し、二本松有機農業研究会の取り組みを応援してきました。このたび、ようやくソーラーシェアリ ングという形で事業が動きだし、そのキックオフイベントとしてシンポジウムを9 月23 日に開催しました。当日の、大内督(おおうち・ おさむ)さんと近藤惠(こんどう・けい)さんのお話をもとに、二本松有機農業研究会の思いと取り組みをお送りします。(アーユスニュースレター119号掲載記事)
東日本大震災のあと、APLA(※1)が福島で原発被災した農家さん達と何かできないだろうかと動いていたところ、二本松有機農業研究会(有農研)( ※2)と出会いました。時間をかけて話し合いを重ねて、福島の地域再生を共に学び模索する場を作ろうと、2012年から1年間かけて6回にわたる「福島百年未来塾」を共同開催しました。特に放射性物質に汚染された農地の再生と、自然エネルギーを実現するための視点と具体的な方法に焦点をあて、様々な角度から学びを深めることになったのです。
有農研のメンバーは、その後、自然エネルギーを作る事に強い意欲を持つようになり、日本国内で自然エネルギーをつくっている現場へと足を運びます。また農業者が組合を作って電力事業に取り組んでいる事例を学ぶために、ドイツまで視察に出かけました。アーユスはその時の費用に協力したのが、有農研のみなさんとのお付き合いの始まりでした。
しかし、事は簡単には進みません。循環型社会を目指す農業者として、バイオガス発電を目指したものの、それを実現するには時間も資金も必要で、越えなければならないハードルはあまりにも高い。農業をする傍ら話し合いを重ね、まずは畑の上にソーラーパネルを設置して発電をする、ソーラーシェアリングに挑戦することになりました。
■震災後からの厳しい道のり
大内 僕の父の信一は、45年前に有機農業を始めました。当時は、農業の近代化、生産重視で農薬をばんばん使っていた時代でした。しかしその頃から母が体調を崩すようになり、父は、これはおかしいと思い、近代化に逆らって有機農業に進む道を選びました。回りからは、ものすごく叩かれました。それでもこれまでやってこられたのは、地域の仲間と共に有機農業研究会を立ち上げて、共に消費者と顔の見える関係を大切にしてきたからです。父も1人ではできなかったと思います。
2006年には、有機農業推進法が国で法律として定められました。これで農薬を使う農業ではなくて、有機農業が広まっていくんだと思ったものです。私たちはいち早く有機認証もとりました。そんな中での2011年の原発事故です。私たちは、消費者の方との顔の見える関係を大切にしていたので、野菜やお米を直接届けていました。しかし、原発事故のあとは、野菜を届けても顔をみてくれません。嬉しそうでないのがわかり、だいたいその晩くらいに、野菜を買うのを止めたい、提携を解消したいと連絡が入るのです。配達に行くのが嫌でした。
しかし、一方では多くの大学の先生達が福島に足を運び、放射性物質の土と野菜への移行を検査してくれたところ、有機的な土作りこそが、放射線に打ち勝つことへの近道だと教えてくれました。もともと福島の土壌は粘土質の上に、有機農法による堆肥の投入によりセシウムが土に吸着してくれたんです。野菜が根っこからセシウムを吸わずに済んで、野菜の放射線量を検査しても、ほとんど検出されることはありませんでした。事故直後は放射性物質が降り注いで、野菜の表面についたものは洗っても落ちず、ほうれん草や小松菜から千ベクレルも出たのですが、そのあと蒔いた種からはほとんど出ることはありません。ただし、山のもの、キノコ、山菜類に関してはセシウムが今でも出ています。昨日、僕の家の裏で採れた栗を計ったところ、1キロあたり88ベクレルありました。
研究者の方々も、ぼくらの農法こそが福島の農地の再生につながると言ってくれたので、残ってくれたお客様のためにも野菜を作り続けようという気持になれ、今に至っています。
僕らは作ったら放射線量を計るということを徹底し、消費者の人にも伝えてきました。それで、なんとか持ち直してきているところです。まだ震災前の状況には至っていませんが、今は希望を持って仕事しています。
■エネルギー生産で地域再生をめざす
大内 福島百年未来塾で学び考えるうちに、僕らは野菜は作ってきたけれどエネルギーは人任せにしていたというのを実感しました。そこで、エネルギー作物を作ってバイオガス発電ができれば、まさに地域循環型農業とエネルギー生産ができると考えたのです。特に不耕作地が増えているので、そこを活用できればと考えていました。
しかし、コストの問題があります。バイオマスタンクは日本ではまだまだ馴染みがなく、初期投資が高い上に、太陽光発電と違って燃料を毎日投入しないといけないためにランニングコストが必要ですが、それを賄う目処がたちません。
そういう中、ソーラーシェアリングを2年くらい前から考え始めました。下で有機農業をし、上で売電をするという方法を最初は信じがたかったのですが、実証されている方が川俣や南相馬にいらっしゃって、私たちも始めようと思うようになりました。
最初は、有機農家として売電はせずにオフグリッドの社会をめざしていましたが、今の技術でオフグリッドにするのは問題があるので、まずは売電してみて、どうなるかをみていきたいと考えています。
農家が発電していることに関心を持って、そういうことに好きな人が集まってくれないかと期待しています。農家だけではなくいろんな人が集まてもらいたい。地域でも有機農業と我を張っていると誰もきてくれません。地域の農地は、いろんな農業者が集まって守るものです。だからみんなと共有できるものがあるといいなと思っています。まずはソーラーシェアリングを成功させて、その先にバイオマス発電で地域循環をぼくらは目指しています。
■再生可能エネルギーが求められる時代に向けて
近藤 私は東京生まれですが、二本松に移住して有機農業に取り組み、ちぢみほうれん草がヒットして頑張ろうとしていた矢先に原発事故が起きました。
私たちが目指すのは、再生可能エネルギーと安全な農産物を生産して消費者の方に届けることです。生産で儲けることより、消費者の方に喜んでもらえるのが目的です。まだ米を口にするのは難しいという人もいます。だから、エネルギーなら喜ばれるのではないかと思って続けてきました。
営農型発電。安全な農産物の生産を下でしながら、上空にソーラーパネルを敷いて発電する方法です。今回は低圧太陽光という1時間で最大50キロワット発電できるものを用いるので、だいたい15世帯分の発電をする予定です。1年間に6万5千キロワットから7万キロワットでしょうか。私たち有農研はメンバーが15人なので、ちょうど有農研が自給できるくらいの発電量となります。営農発電は各地にありますが、農業者団体が自分たちで所有し、農業者同士が「結」という形で造るということ。売電収入は新規就農者のサポートに使うという点が、二本松有農研の特徴と言えるでしょう。
私の好きな聖書の言葉に、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」とあります。まさにこの言葉が、私たちが進む方向を表していると思います。大内さんのお父さんが有機農業を始めたころは、安
全な農産物の生産が求められていたのですが、今は再生可能エネルギーが求められている時代に入ったのでしょう。若い世代が先輩から有機農業者としてのバトンを受けて、再生可能エネルギーの生産に向けて頑張っていきたいと思います。(文責:枝木)
※1 APLA 日本を含むアジア各地で農業・漁業を軸に「地域自立」をめざす人びととの出会いを作り、経験を分かち合い、協働する場を作り出すことを目的に活動しているNGO。アーユスとは、以前NGO組織強化支援によりパートナー関係ができ、現在は福島支援で協力しあっている。
※2 二本松有機農業研究会
昭和53年発足以来無農薬有機栽培を通じて、消費者と大地の健康を守るために歩んできた。メンバーは約15人。地元の消費者とつながりを深め、福島市、郡山市、福島市蓬莱地区にそれぞれ野菜の宅配をしてきた。2011年3月の福島の原発事故以降、二本松の農地再生に向けた取り組みを始め、セシウムを移行させない農業技術の勉強と実践、綿など食品以外の作物の栽培と製品化、大豆・菜種などの油の商品開発などを試みている