福島/脱原発/東日本
福島/脱原発/東日本2012/12/17ツイート
アーユス福島スタディツアー報告①
2012年11月27日から28日にかけて、アーユスの福島スタディツアーが行われました。アーユスの理事や会員、会員寺院の門徒さんなど、あわせて16名が参加しました。
はじめに訪問したのは2011年6月に郡山市で放射能の危険性に不安を感じたお母さんたちが集まって結成した「安全・安心・アクション in 郡山」(3a)。主な活動は、日々抱える不安や不満を吐露しあう座談会の開催、安心野菜の仕入れ販売、野菜等の食品放射能測定、郡山市政への要望書・請願書の提出など。アーユスは今年5月からこうした活動に係る運営費を支援しています。
郡山のお母さんたちから強い憤りが発せられたのは、原発事故後しばらくしてから安全が確認されたと郡山市が地元産のコメを給食に使うという決定を下したこと。もともと地産地消を推進していた経緯があったというものの、何の説明もなくいきなり実施されたことに「許せない」という気持ちがこみ上げたといいます。署名活動を行い、タウンミーティングの開催を請願したものの議会で否決されたとのこと。こうしたいきさつが今まで活動を続けてきた原動力になっています。アーユスの参加者との懇談では、子どもたちの集団避難・保養が実施されないことへの不満、行政に対する異議申し立てをするだけで周りから変人扱いにされるなど、お母さんたちから日頃感じている思いやストレスが次々と吐き出されました。このように、放射能汚染の事実に触れたくない、忘れたいという空気が地域全体に広がっている中で、3aの人たちは孤立感を深めています。今は週末だけでも放射線量の少ない地域へ保養にいくこと、遠方から安心できる野菜を購入することなど、各自が少しずつ自衛策を講じるしかないというのが現状です。こうしたお母さんたちの切実な思いを受け止めて、少しずつでも支援を継続していくことの大切さを改めて感じました。
次にJR福島駅前にある「ふくしまNGO協働スペース」で国際協力NGOセンター(JANIC)の方々からお話を伺いました。ここではまず原発事故が起こってから現在に至るまでの福島の状況や福島の人たちの声を伝えるビデオを見ました。「とにかく除染でもしなければ前に進んでいる気がしない」「家の中でも放射能のことはタブーになっていて口に出せない」「避難できないんだったらせめてローテーションでもいいので保養をさせてほしい」「2〜3年もやらないと農業ができなくなって地域が崩壊してしまう」。ビデオは福島の人たちの切実な叫びであふれていました。
JANIC福島事務所では、今後特に「子ども・被災者支援法」の基本政策と予算作りが進むようなネットワーキングに力を入れ、全国の避難・保養情報を網羅する「ほよ〜ん相談会」と海外向けの英文ウェブサイトを充実させて、情報発信を強化していく方針です。今後の課題として、支援から抜け落ちている人々を掘り起こし、被災者の心のケアの視点でプログラム化を進めていくこと、福島で活動するNGO・市民の挑戦の記録を世界に発信していくこと、などが挙げられました。
1日目の最後は、今年5月にアーユスが食品放射能測定器を支援した、伊達市月舘町の「つきだて交流館もりもり」。ここは近隣の農家が出荷する農産物を販売し、さまざまな体験プログラムを通じて農山村の暮らしや文化を学んでもらう取り組みを行ってきました。しかしながら、原発事故による放射能汚染で活動が大きく制限されました。当初は販売制限に関する情報が乏しく、福島県が取った放射線量のモニタリングができないものは販売しないという方針に従った結果、地元のお年寄りたちは作る意欲を失ったといいます。一方、近隣の二本松市の東和町では、地元の農家等で構成されるふるさとづくり協議会が、復興につながるからと農家に農産物を生産・販売し続けることを奨励し、東京をはじめ全国各地から注文が相次ぐなど地域の活性化に成功している事例がありました。月舘の人たちはこの取り組みを視察し、農家を励ますことがいかに大切であるかを学んだといいます。こうしたときに出会ったのがアーユスでした。すぐに食品放射能測定器を支援することで合意し、できるだけ性能のいいものを入れようと待つこと半年。ようやくベラルーシ製の測定器が納品され、以来毎日のように自主検査が行われるようになっています。その測定結果をもとに、10月からはQRコードを全商品に付けてウェブサイト上で検査の情報が見られるようになりました。こうして現在では農家も消費者も測定結果を見て商品の売買を判断できるようになりました。月舘の人たちの望みは、子どもたちが安心して暮らせる環境を作っていくこと。アーユスが寄贈した測定器がその一助につながっていることを実感しました。