アーユス賞
第5回アーユスNGO大賞受賞者(2017年度)
大橋正明さん
◆授賞理由
大橋さんは、日本の国際協力NGOの黎明期である1970年代後半から、貧困状況にある人たちの声に耳を傾けながら、農民の組織化や生活改善、社会的な意識向上をめざす活動に取り組んできました。その経験をもとに、常に開発現場の視点を忘れることなく、国際協力NGOの社会的地位の向上や、国内外のネットワーク推進に心血を注ぎ、日本の国際協力NGOの発展に多大な功績を残してきました。
アーユスは、設立時から今日に至るまで、大橋さんに理事として事業全般に関わっていただいており、特に創立時にはNGOとしての組織基盤の整備や、NGO支援事業の構築などで、大変お世話になりました。大橋さん抜きに現在のアーユスは語れません。
こうした業績の傍ら、バングラデシュをこよなく愛し、南アジアの人たちと触れあいながら、子どもたちに優しく接する、そのお茶目で人間味あふれる素顔にも、多くの人が魅了されてきたのではないでしょうか。
近年は、恵泉女学園大学や聖心女子大学で教鞭を執りつつ、シャプラニールや国際協力NGOセンターをはじめ、さまざまなNGOの役員としても日々奮闘されてきました。長年にわたって「NGOの顔」として歩んできた、その偉大な足跡は、多くのNGO関係者の胸に深く刻み込まれ、その熱き思いは、今後も長きにわたって、国際協力NGOを担う若い世代に引き継がれていくことでしょう。
ここに、大橋さんのこれまでの輝かしい業績と、日本の国際協力NGO活動への多大な貢献に敬意を表し、今後の後進への指導に期待を込めて、本賞を授与します。
◆大橋さんからのメッセージ
18年2月5日 大橋正明
第5回「アーユスNGO大賞」を頂戴したこと、茂田理事長を始めとしたアーユスの皆様に心から御礼申し上げます。ありがとうござました。これまでの受賞者、具体的にはJVCの熊岡路矢さん、パルシックの井上礼子さんとシェア=国際保健協力市民の会の工藤芙美子さん、移住者と連帯する全国ネットワークの渡辺英俊さん、パレスチナ子どものキャンペーンの田中好子さんとシェア=国際保健協力市民の会の本田徹さんという大先達たちの末席に加えて頂いたことを、心から嬉しく思っています。
今日のこの私がここにあるのは、早稲田大学文学部二年の川口大三郎君を革共同革マル派の自治会幹部が1972年11月8日に文学部自治会室でリンチ・虐殺して遺体を投げ捨てたことに怒った学生たちの運動に、私自身は大学1年の時から深く関わったこと、このために三週間余り警視庁新宿警察署の豚箱にぶち込まれたこと、しかしそこで忘れられない貴重な経験をしたこと、その後大学から逃げ出すように渡ったインドの最貧のビハール州で今も続く出会いや重要な出来事の経験があったこと、そして早稲田の仲間に誘われて1970年代後半からシャプラニール=市民による海外協力の会に関わるようになったお陰です。特にNGOへの入り口となったシャプラニールとその現場であるバングラデシュの人々と、この大賞を分け合いたいと心から思っています。
私のこうした人生の歩みと、理想主義と揶揄されても非武装で平和を求めることのほうがよっぽど現実的だという私の主張は、現在JVCとJANICの理事長を務める谷山博史さんや、アーユス新人賞を受賞したAPLAの野川さんなどNGOの若い仲間たちと一緒に2か月前に新評論から出版した「非戦・対話・NGO」という本に詳しく述べました。こんな個人的で少々恥ずかしい体験を書く機会は、私にとっては最後になるかなと思ってのことです。
さてバングラデシュのNGOの先輩たちは、何も知らなかった当時27歳の若造の私に実に沢山のことを教えてくれました。その例を、ここで少し披露させてください。
今でも鮮明に覚えているのは、シャプラニールの駐在員になった80年のクリスマスの晩の出来事です。以前はバングラデシュの赤十字社、当時は英国のOXFAMに勤めていた私より10歳年上のすでに著名だったバングラデシュの活動家サイドゥル・ラーマンさんの提案で、その晩を寒い路上で過ごしているホームレスの人たちに、数団体のNGOが共同で毛布を配ることになりました。毛布購入のために意気込んで飛び出していこうとする私を押しとどめたサイドゥルさんは、「大橋、買ってくるならなるべく汚くて穴の開いた毛布にしろ」と注文するのです。私はキョトンとしてしまいましたが、彼の説明を聞いて深く納得しました。彼は「路上の人たちが穴のないきれいな毛布を持っていたら、見回りの警察官や地回りのヤクザに取り上げられてしまう。そうした連中が欲しいと思わない毛布が良いんだ」と教えてくれたのです。エンパワーメントがされていない、つまり人権がはく奪されている人たちへの支援の仕方を教えてくれたのです。
彼は91年のサイクロン(台風)災害の時にも、国際赤十字の駐在員だった私に大事な視点を示してくれました。一晩で13万人もが命を落とした背景には、不正確な警報が何度も出されるのでそれを信用しなくなる「オオカミ少年効果」や、無学の人に理解するのが困難な難しい警報の表現といった理由の他に、避難のために自宅を離れると、日本の被災地でもよく起きる盗難、特に貧しい人々にとっては銀行預金並みに大切な家畜を盗まれるから安易に避難しない、と教えてくれたのです。その後被災者を調査してみると、その大半は自宅で被災した後に、緊急救援の食料配分を期待してサイクロンの避難所に来ている傾向がはっきりしましたそれゆえサイドゥルさんは、サイクロンの避難所には家畜を守る場所を同時に備えるべきだと一貫して主張しています。私はその時の調査結果をもとに、大きなサイクロン避難所を避難に不向きな位置にある地主の土地に建てるのではなく、数世帯の血縁関係の簡素な家屋からなるバリと呼ばれる小さな集落のうちの一軒を高床式で丈夫な住居にして、そこをミニ避難所にすることを提案する論文を書きました。そうすれば避難の遅れや家畜盗難を防げるし、被災直後の食料や飲料水も確保できるのです。この論文が日本の国際開発関係の団体から表彰を受けたのも、このサイドゥルさんのお陰です。
この長い付き合いのサイドゥルさんが最も喜んでくれた時は、1993年に私が国際赤十字のバングラデシュ駐在員から日本の大学教員に転職する、と告げた時です。大きな笑みを浮かべた彼は、「大橋がバングラデシュでやっている仕事は、自分たちでもできる。しかしバングラデシュの貧困問題の背景には日本を始めとする先進国があり、それを変えるのは大橋たちしかできない。特に若い人たちを教えて日本と変える仕事に携わることは何よりも素晴らしい」と言うのです。 自分では十分注意していたつもりでしたが、サイドゥルさんの目に私は、東京外国大学の伊勢崎賢治さんが批判する「NGOの外国人が現地で『ヒーロー化』している」と映っていたのでしょう。それでもサイドゥルさんを始めとするたくさんのバングラデシュの人々は、私への助言や指導を根気強く続けてくれたのです。大学の教員になれたのは、バングラデシュという大学で実地に学べたからです。
1993年4月から恵泉女学園大学の平和学の専任教員になり、2004年3月までの21年間お世話になりました。恵泉は、平和学と有機園芸を必修とするユニークなカリキュラムを持つ、しかも社会活動を後押ししてくれる大学でした。おかげさまで私は研究時間をNGO活動に振り向け、シャプラニールの役員と代表理事を1993年から2007年まで、そしてその2007年から15年までの8年間に国際協力NGOの最大のネットワークの国際協力NGOセンター(通称JANIC)の理事長を務めさせて頂きました。一方4年前に、日本のNGO創世期には色々助けてもらった聖心女子大学に移りました。そしてその大学が購入した旧JICA広尾センターの建物に「グローバル共生研究所」を昨年秋に開設し、現在はその所長として市民社会的な視点を有した教育や社会活動に邁進しています。
これらの事が、今日このアーユスNGO大賞に結実したのです。NGOの重要性はSDGsや開発協力大綱等でも言及されていますが、困難な仕事に長年挑むNGO関係者を対象とする顕彰制度はほとんどありませんでした。ここに着目した仏教NGOアーユスには、吉永小百合さんのシャープのCM「目のつけどころがシャープでしょ」という言葉を贈ります。実は私はアーユスの理事の一人なので、少し自画自賛なのはお許しください。
インドのビハール州の友人達、バングラデシュの先輩達、アジアのNGOやCSOの活動家達、シャプラニールとJANICとアーユスの仲間達、恵泉女学園大学と現在所属している聖心女子大学の教職員の同僚と学生と卒業生達、そして何よりも長年陰から私を支えてくれた妻大橋淳子に、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました!