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特定非営利活動法人アーユス仏教国際協力ネットワーク

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アーユス賞

第1回アーユスNGO大賞

 11月5日のアーユス20周年行事において、記念すべき第1回のアーユスNGO大賞が決定しました。

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◆授賞理由

  熊岡路矢さんは、1980年にタイ国に赴き、カンボジア、ラオス難民キャンプで救援活動を行ったのを皮切りに、日本の国際協力NGOの草分け的存在である「日本国際ボランティアセンター(JVC)」の創設に関わり、長年にわたって、カンボジア、パレスチナ、南アフリカ、北朝鮮など、世界のさまざまな国々で草の根の人たちとともに自立した生活の実現や人権擁護のため活動に携わってきました。1995年から2006年まではJVCの代表を長きにわたって務め、JVCを日本有数のNGOへと導くとともに、日本の国際協力NGOの社会的地位の向上に多大な業績を残してきました。

 アーユス理事長の茂田真澄は、20数年前にカンボジアを訪ねたとき、熊岡氏の活躍振りに感銘を受けました。熊岡さんとの出会いがアーユスの活動の原点にもなり、その後のアーユスの大きな指針となっています。

 アーユスとして、熊岡氏のこれまでの業績ならびに国際協力NGOの第一線で活躍してきた姿に深い敬意を表するとともに、今後とも多くのNGOスタッフやボランティアの模範として、そしてNGOを志す人たちに勇気と希望を与え続けてほしいとの思いから本賞を授与することになりました。


◆熊岡さんからのメッセージ

 アーユス20周年、誠におめでとうございます。

 今回のアーユスNGO大賞受賞に関しましては、多くの有資格者がいる中で選考して下さった、アーユスの理事長、副理事長、理事会、事務局の皆様に心からの感謝を申し上げます。1980年以来、30年の活動を評価して頂き、光栄であり、有り難い気持ちで一杯です。 

 アーユスが、1979年以来の「前史」があったように、私も1979年頃からカンボジア難民、インドシナ難民救援活動に参加し、その後は未だ紛争の続くカンボジア国内、ベトナム国内での復興人道支援活動を続けてきました。当時タイで誕生したばかりのJVC(日本奉仕センター)、現在の日本国際ボランティアセンターは、いわゆる日本の既成社会(政府や企業など)からは「ヒッピー」とか「ドロップアウト」とか「アウトサイダー」と呼ばれていました。さすがに「アウトロー」とは呼ばれていませんでしたが、異色の人間と思われたようです。

 今は日本社会も変化してきましたけれども、70年代、80年代の日本で新しい動きを創ろうと思えば、まさに「アウトサイダー」でなければ出来なかったことが沢山ありました。宗教、仏教の世界でも確立されたものが強力にあればあるほど、変革にチャレンジする精神は非常に貴重なのだと思います。

 アーユスの20年を振り返るのが5分、あるいは約15分で行われましたが、私の方は33年の活動を3分で話す形になります。

 「縁」という言葉が本日のシンポジウムの主要テーマの一つであったと思いますが、私自身が不思議なあるいは悲しい縁を感じるのがカンボジアと、3.11東日本大震災の被災地の一つ、福島県・飯舘村です。1980年、当時苦しんでいたカンボジア難民のために、飯舘村のお母さんたちが、少ない収入からお金を出し合って、タイ・カンボジア国境の難民キャンプにレントゲン設備がついた医療バスを贈ってくれました。特殊な車輌だったのでかなり高価であったと思います。それは難民治療のために、日本と世界の医療チームによって活用されました。JVCの医療班も使って大変役に立ちました。その後、カンボジア難民の人々が千数百人、日本に定住しましたが、このX線医療バスのことも縁になって、福島県飯舘村の村人は関東地域にちらばっていたカンボジアの子どもたちを80年代半ば、毎年夏休みのリクリエーション・プログラムとして受け入れて下さいました。カンボジアの子どもたちも、日本語が不自由ななかで、苛めを受けたり、苦労していました。飯舘村は非常に美しい農山村で、人々は子どもたちを親切に優しく迎えてくれました。

 その時は全く予想も出来ませんでしたが、3.11の大震災、特に原発事故によって、今度はその飯舘村の人たちが村に住めなくなってしまいました。戦争、原発事故と原因は異なりますが、かつてのカンボジアの人たちのように、自分の住んでいたところ、農牧畜その他のしごとと生活の場を追われてしまいました。今は、福島の子どもたちを他の地域の人たちが夏休みなどに受け入れるような状況になっています。

 シンポジウムでも語られたように、東京電力が電気を供給しない地域で原発をつくり、日常の汚染と、事故の被害を押しつけている異常な体制(私自身も責任があります。)の問題性、犯罪性を強く意識します。

 ベトナム戦争・反戦の時代から、そして今は、しごとがら、マイクをにぎると長く話しそうになりますが、2002年、2003年は、連日、他の仕事をぶっ飛ばしてでも、「イラク戦争」反対デモ、集会に参加し、機会があれば声を上げました。いわゆる「人道支援」をしたかったわけではなく、戦争を止めたかったのですが、力及ばす、それもできませんでした。すべての戦争は汚いのですが、9.11以後のアフガン戦争、イラク戦争は、カネのために人や子どもたちを殺傷する、本当にとりわけ汚い戦争です。今も被害は続いています。

 今回、このような賞に値する人間か否か自問しましたが、アーユスの方々との縁があり、また私たちの活動を押し上げて下さった様々な人たち、カンボジア難民、パレスチナやイラクの人々など、JVCで言えば、岩崎駿介さん、星野昌子さんはじめ多くの先達、仲間、そして日本の、また世界のNGOの人々との縁があって、この賞を得られたのだと、再認識するに至りました。

 「2001年宇宙の旅」の音楽と共に登場するような素晴らしい人物ではないのですが、最後にひと言。シンポジウムでの大江さんのお話の中で「内にこもる」というのは必ずしもマイナスではないというご指摘がありました。私もそう思います。社会環境や、心身の不調などで動きにくい状況の中で、深く考えられる機会を与えられるのは有り難いことであり、活かしていきたいと考えています。逆境のなかで、お釈迦様、ソクラテス師、孔子さま、老子さまが考えたことは2500年の時空を超えて今でも私たちの中に生きているわけです。

 改めて、アーユス20周年おめでとうございます。これからも更に20年、30年、世直しのために活躍して下さい。そして改めまして今回のアーユスNGO大賞、誠にありがとうございました。いずれ「西方浄土」(さいほうじょうど)へ行かねばならない身ではありますが、その前にもう一花咲かせる契機といたします。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。