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平和人権/アジア

平和人権/アジア2014/02/26

タイ・スタディツアー:「川は銀行」だったのに・・・


メコン河とその支流は世界有数の豊かな川で、必要なだけ人間に魚を与えてくれることから、人びとは「川は銀行」だと考えていました。ところが近年、不用意な開発によって魚が獲れなくなり、川は銀行の役目を果たすことができなくなってきています。

水門が8つあります。

スタディツアーの第2日目は、不用意な開発の代表である「パクムンダム」が破壊した川の恵みと人びとの暮らしについて、現地の人に教えてもらう一日となりました。

パクムンダムは世界銀行の融資を受け、メコン河の支流であるムン川に作られた水力発電用のダムで、失敗プロジェクトとして有名です(世銀は認めていませんが)。

反対の声を押し切る形でダムは作られ、1994年に完成して川が堰き止められると、魚が激減しました。水質が悪化する上、魚は回遊を阻まれたり、産卵の場を奪われたりするためです。後付けで魚道を作ったりもしましたが、ほとんど効果はありませんでした。

漁業で生計を立てられなくなると、若い世代は出稼ぎに行かざるを得ず、残った老人や子どもはその仕送りで生活することになります。今回お話を聞かせてくれた方たちもそうでした。

魚が獲れなくなって困るのは、漁民だけではありません。魚の仲買業者や漁具の販売者などの商売も立ちゆかなくなります。

また、農業にも影響があります。川沿いの畑に川が豊かな土壌を運んできてくれることがなくなったため、お金のかかる化学肥料を使うことになっていくのです。

このように、ダムの建設は地域経済を破壊し、住民を貧困に追いやりました。物質的な貧困だけではありません。昔は魚や野菜をみんなで分け合っており、暮らしの中でも助け合いが行われていたそうですが、魚が獲れなくなってからは、次第にみんな自分勝手になり、人間関係が貧しくなっていったと彼らは口々に言っていました。

これを仕掛けて魚をとるそうです。

これを仕掛けて魚をとるそうです。

また、彼らの子どもの世代は魚を獲る技術を身につけられなかったため、万が一、魚が川に戻ってくるようなことがあっても、魚で生計を立てるのは難しいのではないかということでした。

川のほとりで生まれ育った人間にとって、魚を獲ることは、生活の糧である以上に、生きる喜びです。昼食をご一緒し、お話を聞かせてくれた60代の男性3人組は、魚のことになると少年に戻り、泊まりがけの魚とりや魚の仕掛け籠などについて、ライブ感たっぷりに、活き活きと説明をしてくれました。

ちなみにダムが生み出す電力は、上記のような犠牲に見合うものではまったくありません。また、住民に支払う補償などを考えると、まったく採算がとれないものでもあります。さらに、そもそもパクムンダムで電力を作らなくても電力は足りているのです。

今回のツアーで「誰のことも幸せにしない開発」というものがあることを知りました。なぜこんな開発が行われたのかと言えば、おそらく「面子」のためです。国の威信のため、どこかの偉い人の顔を立てるため、失敗を認めることは恥であるため・・・。この「面子」は世界のあちこちで、人びとを戦争に駆り立てたり、作ってはいけないものを作らせたり、人びとを抑圧したりしています。

誰かの面子と、3人のおじさんたちの魚獲りの喜びだったら、圧倒的に後者のほうが大事だと思うのですが。

もちろん住民は犠牲者の立場に甘んじていたわけではありません。反対運動もしていましたし、補償を求めて立ち上がり、十分ではないものの補償を勝ち取ったりもしています。ただ、彼らが失ったものは補償のしようがないものばかりです。

住民の多くは水門開放を求めて今でも闘っています。実際、タクシン時代に1年間の水門開放が実現し、その際には多くの魚が戻ってきたそうです。魚の産卵時期に合わせて水門を開放することで、ある程度は川の豊かさが戻ってくることが見込まれているのですが、ここでもタイ発電公社の面子のために上手くことが運んでいません。

なんとか5月1日に水門が開くよう、東京のタイ国大使館の前でビラでも配ろうかと考えていますが、いいお知恵のある方はお知らせ下さい。