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エンゲイジドブッディズム

エンゲイジドブッディズム2022/07/01

2007年夏、ビルマで僧侶は・・・②


政府の助言者である僧侶

— 僧侶は政治には関わらないものだと言われています。今回のデモは政治活動という気持ちが強かったのでしょうか、それともあくまで宗教活動だったのでしょうか。

(サンディマ師)ビルマの僧侶は、托鉢で食事を頂戴していただきます。その家々を回って食事をいただく時に、以前はもらえたのに今は「今日はすみません」というところが多くなり、だんだんもらえなくなってきました。これはその家の経済状態が悪くなってきたからだと思っています。子どもたちに聞いても、今日はご飯を食べていない、今日はお金がない、今日は勉強できていないと言うことが多くなり、子どもたちの状況も悪くなってきていると思っていました。ビルマは裕福な国であったにもかかわらず、政府が最貧国の一つにしてしまった。これは政治を動かしているリーダーたちの手腕の問題でしょう。
 国民と僧侶はお互いに理解しあい、国民は生活が苦しくなると僧侶のところに行って話をし、相談をしています。
 ビルマの仏教では、昔から政府や国を指導する人たちが悪いことをすれば、僧侶はその人たちに「悪いことをしたらいけない」と話をしてきました。たとえば昔、アラウンシーという方が王の時、大きな道を造るために国民を強制的に労働させました。そのときに、僧侶がこれはいけない、人権に反していると話をしたということが伝えられています。今の政府にも僧侶は国民にしてはいけないことを話はしてきました。でも、なかなか耳を傾けてもらえません。

— つまり、僧侶は政府へのアドバイザーのような存在なのでしょうか。

(サンディマ師)そうです。本来、宗教の方が政治より上に位置します。何か問題が起きたとき僧侶は、政府側と国民側がお互いに話をできるよう間に立とうとします。2007年の時は食品の価格が3倍もあがり、僧侶もそれでは国民は生活できない、間に入って話し合いを進めようと街に出てお経を読んで歩いたのです。しかし、僧侶は、平和的に解決したかったのにも拘わらず軍事政権に弾圧されました。
 1980年には、政府は僧侶を監視するシステムを作りました。「サンガ組織基本規則」の制定や、僧籍登録証の導入がこの年に行われたことです。もともと僧侶は独自に宗教活動を行っていましたが、今は政府に登録しなければならず、まだ移動するにも申請をしないといけません。軍事政権は、僧侶が何をやっても知れるようになりました。4年に一度僧侶の総会が開かれるのですが、これも政府の指導なしに自由に開くことができません。つまり宗教よりも政治が力を持つようになったのです。
 国家サンガ大長老委員会がありますが、今は、大僧正たちに軍政が命令を出すために、軍政の元に僧侶が動くようになってしまっています。軍政が恐ろしく、言いなりになっているところがあります。本来は大僧正がその下の僧侶に対してこれをしたらいけない、これをすべきだと指導するのですが、2007年の時は、軍政が直接僧侶の行動を判断して拘束し弾圧しました。


▼ウー・サンディマ師

 ビルマ国際僧侶連盟(サーサナモリ)の日本支部に駐在。2007年のデモには直接参加していないが、弟子や知人が参加したことからその後の支援に関わる。ヤンゴンの隣町に寺院を持ち、300人くらいの恵まれない子どもたちの教育や面倒をみている。ビルマの人道支援会議に参加し、また国民民主連盟(NLD)のメンバーと接触したことで軍政の監視下におかれたこともある。


平和を願い動き続ける

— ターワラ師はまだお若いのですが、同世代のほかの僧侶の方も参加されたのですか。また、1988年の民主化運動に関わった世代から、軍事政権への意見や考え方の影響を受けていらっしゃったのですか。

(ターワラ師) 若い世代の僧侶も参加しました。しかし、88年から活動されてきた方々からの影響を受けていたわけではなくて、自分自身で軍事政権がやってきたことや、周りにいる人たち、家族の生活が困ってきたことを見て、今の状況はいけないと思っていました。僧侶はそれほど政治に関わることはできず、88年のリーダーたちと関わったこともなく、自分たちでなんとか聞いたり見たり、家族の話でわかってきたことです。
 僧侶たちだけではなくて、ビルマでは携帯電話もそこまで普及していないし、パソコンもなかなかありません。また周りの人から情報を得ることにも危険があります。だからビルマの人たちは暗闇に住んでいるとも言えます。国民は何も情報を得ることができません。

ー 政府が暴力にうって出たことに対して、恐怖心に襲われる、または関わったことへの後悔されるような方っていらっしゃったんでしょうか。

(ターワラ師) 私たちは僧侶として軍事政権の暴力を恐れることも、後悔することもありません。ただ、僧侶が軍事政権を平和的に変えたということを私たちの国のなかだけでなく世界に知ってもらいたい。そういうことをすれば、独裁政権が倒れるだろうと思い、一生懸命活動しただけです。
 軍事政権の圧力下にいて、国民が涙を流したことはたくさんあります。それは、自分の娘や息子のことを思ってですが、誰も涙を流している人たちのことを知らない。民主化が進んでいる国の人たちが、そのような誰にも知られずに涙を流している人たちのことを思って手をさしのべてくれるとうれしいです。

— 今はインドにいらっしゃるのですが、留学の予定はなくなってバングラデシュ経由で行かれたんですね。

(ターワラ師) はい。あの事件がなければインドに勉強しに行ったのですが、結局指名手配を受けて早く逃げなくてはいけなくなりました。

ー 私たちも2007年の9月のあと、僧侶たちが逃げたと聞いて心配していました。タイ側に逃げた方のことは聞いていましたが、バングラデシュ側にも多く逃げられたのでしょうか。

(ターワラ師) 僧侶はいろいろな国に逃げましたが、バングラデシュには現在、数人の僧侶がいます。
 私は国内に残って活動を続けたかったのですが、指名手配が出たので、長くいるのは難しいと判断し、民主化グループの手助けを得てバングラデシュに逃げました。船で逃げたのですが、天気が悪く途中迷うなどバングラデシュにたどり着くまでにかなり時間がかかりました。着いて数日後には、UNHCRで難民登録をしました。地上を通って逃げた僧侶もいます。危険なので一緒に逃げていません。

— なぜ、タイではなくバングラデシュに逃げたのですか。

(ターワラ師) タイに行きたかったのですが、タイに行く道は数十のチェックポイントを通り抜けなければいけませんでした。しかし、そこには指名手配の写真が既に張ってあったので行き先を変えました。

— バングラデシュに残らずにインドに行かれた理由はあったのでしょうか。

(ターワラ師) バングラデシュにいるときにラカイン族の子どもたちに勉強を教えていました。その中でビルマの軍のスパイが入ってきて情報を集めていたました。UNHCRにも相談しましたが、特に措置を取ってもらえなかったので危険だと思ってインドに逃げました。出てからイギリスのUNHCRやアムネスティ・インターナショナルや議員が支援してくれ、イギリスへの亡命も可能でしたが、ビルマの平和についての活動を続けたかったのでデリーに残っています。
 今は、ビルマ人が多くいるところで、子どもたちに勉強を教えています。

— とりあえず、現在は安全なのでしょうか。

(ターワラ師) 私は海外で暮らしていても安全性は保障されていません。このような活動をしている人たちはどこに行っても安全ではないでしょう。ビルマの人は亡命や難民として第三国へ行っていますが、そこが民主化されていても殺された人がいる。でもビルマ人を受け入れている国には感謝しております。僧侶を始め、ビルマ人はビルマが民主化されれば国に帰ると思います。しかしそれまで他国に逃げた人を国際社会は支援して欲しいですし、私たちは常にその支援者たちのことを忘れません。
 ビルマの民主化運動も長引くにつれて、支援も少なくなっています。そのために、民主化を達成することも難しくなっているので、国際社会にももっと協力してもらいたい。仏教界のご支援ももっといただければありがたいです。

— 今度のビルマの選挙(注4)についてのご意見をお願いします。

(ターワラ師) 軍事政権の監視下の元に行われる選挙ですから、その選挙では民主化は実現できません。スーチーさんをはじめとする民主化活動家を解放せずに一方的に行われるので反対します。
 ビルマの軍事政権は核研究をしています。日本は核被害国として、この動きに反対して欲しいです。ビルマのことはビルマのことだけではなく、世界にも危険を及ぼす可能性があるということで国連にも取り組んで欲しい。ビルマの軍事政権が核を持つことで、国際社会が危機感を持つべきでしょう。

(インタビュー 秋元由紀・ビルマ情報ネットワーク、枝木美香・アーユス事務局。文 枝木美香)


(注釈4) 選挙
 2010年11月7日に予定されている総選挙。


■参考文献
 『ビルマ仏教徒民主化蜂起の背景と弾圧の記録 —軍事政権下の非暴力抵抗』守屋友江編訳、根本敬解説、ダニエル・シーモア、箱田徹、ビルマ情報ネットワーク翻訳協力
* 2007年に、なぜ僧侶がたちあがったのか、その背景と経緯、当時発表された声明文などの翻訳集。また逮捕された僧侶が受けた拷問や強制還俗の様子の報告も翻訳されている。ビルマの仏教僧侶による社会への関わりを知るには、必読の一冊。