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平和人権/アジア

平和人権/アジア2018/06/15

カンボジアのいま:カンボジアが再び混乱に陥らないために・・


カンボジアのいま:和平協定から27年。カンボジアが再び混乱に陥らないために・・

2017年9月3日を持って廃刊となったカンボジア・デイリー。1993年に創刊された、英字新聞。 脱税疑惑が表向きの理由だが、正式な監査などは行われないまま廃刊に追い込まれた。最後の表紙を飾ったのは、細大野党の党首が逮捕された時の写真。そして見出しは、「あからさまな独裁への転落」

2017年9月3日を持って廃刊となったカンボジア・デイリー。1993年に創刊された、英字新聞。
脱税疑惑が表向きの理由だが、正式な監査などは行われないまま廃刊に追い込まれた。最後の表紙を飾ったのは、細大野党の党首が逮捕された時の写真。そして見出しは、「あからさまな独裁への転落」

 カンボジアが民主化の道を逆行していると言われている。1991年にパリ和平協定が結ばれた時は、独裁政治や軍事政権によって支配されるのではなく、民衆の思いが反映した国が始まると、世界中で歓迎したものだった。和平協定では、「国内の和解を促進し並びに自由かつ公正な選挙を通じてカンボジアの国民が自決の権利を行使することを確保することを希望」すると謳い、1993年には国連管理の下に、総選挙が実施された。2018年の夏にも総選挙が予定されているカンボジア。しかし、それは公平で自由なものからはほど遠くなりつつあると懸念されている。 NGOの活動も制限がかかりつつある。
 今号では、カンボジア人権活動家の一人、トゥン・サライ氏のインタビューをお届けする。人権状況の悪化や、公正な選挙への思いについて語っていただいた。それは、日本に住む私たちが選挙が安全に当たり前に開催できることの尊さに気づかされた話でもあった。

2018年7月8日に、「カンボジアのいま -1993年UNTAC総選挙から25年、カンボジア和平を検証する 2018年総選挙直前セミナー」が開催されます。詳しくはこちらをご覧ください


 1991年、カンボジアで20年以上続いた内戦に終止符が打たれた。パリで和平協定が結ばれ、長年にわたる独裁政権が終わり、民主的な国が始まろうとしたのは、世界中が歓迎したものだった。1993年には、国連暫定行政管理と海外からの監視団の下に総選挙が行われ、二大政党をふくむ連立政権が開始。その後、戦争からの復興事業には、日本政府は多額の資金協力をおこない、NGOも草の根で教育や保健衛生、農村開発の分野で活躍してきている。
 ベトナム戦争の余波を受けてカンボジアで内乱が始まったのが、1970年。混乱の中、1975年からはポル・ポトが率いるクメール・ルージュによる残虐な支配が始まり、1979年には当時のソビエト連邦とベトナムによる傀儡政権が政権の座を奪取。その後も内戦は続き、人々の生活は困窮を極め、国力ともに疲弊していった。国民の多くが難民となって国外に逃れたのもこの頃。1980年頃からタイ国境に多くの難民キャンプが作られ、日本のNGOの黎明期ともなった。
 しかし、ここ数年のカンボジアをみていると、民主化とは逆行する方向に進みつつある。人権状況が悪化し、NGOの活動は制限され、そして総選挙を目前に最大野党が解党され、2018年に予定されている総選挙の公正性が危ぶまれている。
 トゥン・サライ氏は、カンボジアの人権NGO「カンボジアの人権と開発協会(ADHOC)」の代表で、最近のカンボジアの人権状況についても発言し、人権侵害を受けた人たちを擁護してきた。しかし、自身の身に危険が迫り、現在は海外での暮らしを余儀なくされている。

(トゥン・サライさんインタビュー。2017年10月23日勝楽寺(東京都町田市)にて) 

トゥン・サライ氏 カンボジアの人権と開発協会代表 現在、身の安全を守るためにカナダに拠点を移して活動している。2017年10月に来日し、カンボジアの社会状況の変化について関係者と共有し、公正な選挙が開かれるよう訴えた。

トゥン・サライ氏 カンボジアの人権と開発協会代表
現在、身の安全を守るためにカナダに拠点を移して活動している。2017年10月に来日し、カンボジアの社会状況の変化について関係者と共有し、公正な選挙が開かれるよう訴えた。

 カンボジアはこれまで、多くの戦争を経験してきました。クメール・ルージュの政権下では、およそ200万人が命を落としたと言われています。私は投獄され、様々な拷問にも遭いましたが、幸いなことに命を落とすことはなかったです。
 1990年に、またもや理由もなく投獄されましたが、この時の収監は非常に辛いものでした。幅1メートルほどの部屋に2人ほど足かせをつけられた状態で押し込められた上に、非常に換気が悪くて時には息をするのも困難になるくらいでした。幸いなことに1991年、パリ和平協定が結ばれる15日前の10月7日に釈放されました。
 このような経験があったので、人権を守る活動の必要性を痛感し、釈放後にADHOCを設立しました。当初から、人権侵害の被害者への支援活動と政府への政策提言や、人権教育を主な活動としています。人権教育は、公務員、警察官、軍人に対しても、おこなっています。
 私たちはカンボジアの各州に事務所を設けていますが、当局から圧力を受け、事務所を閉鎖されたこともありました。脅迫されることもありましたが、それらにめげずに現在まで活動を続けています。

不偏不党を保つ難しさ
 人権に関する活動をするときに一番気をつけているのは、中立性、つまり不偏不党を保つことです。しかし、それは非常に難しいことです。これまでも、様々な政党が私たちを利用し、味方につけて勢力を広げようとするなど誘いをかけてきましたが、それをことごとくはねつけてきました。
 それだけだと聞こえがいいのですが、誘いを断ると、そのあと脅迫が始まります。多くの公人が、テレビやメディアを使って脅迫まがいのことをしてきて、実際に2016年4月に我々のもとで働いていた仲間が逮捕・拘留されました。私もEメールや電話で脅迫されるようになったので、まずは家族を国外に出し、私自身もその後カナダに逃れています。私は自分の活動で不利益を被るのは仕方ないと思いますが、それが家族や周りの人々に及ぶのは避けなければいけません。

抑圧される人権団体
 私たちは小さな(市井の)人々を守る為に働いていますが、状況を根本的に改善するには、大きな組織や社会の仕組みを変える必要があるため、政府に対して批判や提言もおこなっています。しかし、状況の改善はたやすくなく、たくさんの人々から人権が侵害されて不利益を被ったという相談を受けてきました。時には年間2000件を越える相談を受けたこともあります。
 たとえば不正な土地収奪によって不利益を被った相談が私たちに多く寄せられます。我々は受けた相談を法的に分析して、必要であれば裁判所に訴えていますが、裁判所も権力者の影響下にあるので公平な結果を得られていません。ですから、指導者たちに我々の声を聴いてもらうために、平和的なデモなどを組織すると、それは政府から反政府活動をしているとみなされ、住民を煽っていると言われます。私たちは様々な訴えをおこしますが、方法は常に非暴力です。反政府運動を煽っているわけでは決してありません。
 以前、選挙の方法が公正を期していなかったために記者会見を行ったところ、政府側から批判を受けたことがあります。カンボジアでは、投票したことを証明し、二重投票を防ぐために、投票が終わると投票者の指にインクをつけます。選挙管理委員会は、このインクは一定期間絶対に落ちないと言いましたが、我々の調査で、そのインクが何らかの薬品で落ちることが判明したのです。私たちは、選挙結果の質が高まるようにこの件を指摘しましたが、それを聴いた政権側からは、選挙を台無しにするのかと言われました。
 最近のカンボジアにおける人権や政治をめぐる状況はますます悪化しています。有名な国際団体が撤退に追い込まれ、外国や国内の独立系メディアが様々な理由をつけられて閉鎖に追い込まれています。また野党の党首が逮捕された上に、野党の解散が訴えられています。(注:このインタビューの後、最大野党のカンボジア救国党党首が国家反逆罪容疑で逮捕され、11月16日に解党となった。)
 2015年に閣議決議されたNGO法は、憲法に謳われている結社の自由に反するもので、NGOは必ず国に登録しないといけなくなりました。また、政党に対して中立であることが求められるようになりましたが、非常に曖昧な定義で、選挙監視や土地問題に関する活動が取り締まられるようになりました。事実、活動停止に追い込まれた団体が出てきています。
 おそらく政権側は、2018年の国政選挙では与党であるカンボジア人民党が敗北に追い込まれるのではないかと危惧しているのでしょう。以前の選挙では現在の政権与党は絶大な力を持っていて、対する野党は、2013年総選挙の前までは小さな野党が乱立している状態であまり力がありませんでした。NGOや海外からの選挙監視団も、自由に監視活動をおこなうことができました。しかし次回は、与党が負ける可能性が高くなったので、なりふり構わず対策に出たのだと思います。

パリ和平協定の精神
 パリ和平協定では、18カ国がカンボジアの復興のために集まって、カンボジアの内戦に終止符を打ち、民主的な国家として再建することを誓いました。しかし現政権は人権を忘れ、民主主義を忘れ、単に発展だけを望んでいます。今は、中国からの支援が大きいこともあり、自由民主主義といわれている西側諸国の声を聴かなくなっています。一党支配のもとで経済発展を行い、その中で人権や民主主義は重視しなくていい状況を作ろうとしているのではないでしょうか。
 私たちは、パリ和平協定に署名した国々に、カンボジアにパリ和平協定に立ち戻ってそれを尊重するよう訴えて欲しいと思います。それによって、カンボジアが混乱や戦争のない状態に戻れると思います。このまま2018年の選挙がおこなわれても、公正な結果がでるとは到底思えません。
 私たちは、日本に大きな期待を寄せています。日本政府は、1992年から93年にかけて国連が行った平和維持活動の予算の、およそ半分を拠出してくれました。1993年に国連の主導の元に行われた選挙が終わったあとも、日本とフランスが中心となってカンボジアの復興のための国際会議が開かれました。また1997年に、当時の連立与党の間に武力衝突がおきた時も、日本政府が2つの政党の間を取り持ったおかげで、1998年の総選挙が実現するにいたりました。
 2018年の選挙に向けて特に日本のNGOにお願いしたいのは、日本政府がカンボジア政府にもっと働きかけをするよう訴えて欲しいということです。今のカンボジアには、現政権がこれから一党独裁の政権を固めていっても、日本のNGOは声をあげないのではないかと思っている人がいます。ぜひ、力をあわせて声をあげて欲しいと思います。今、声を上げることはとても大切で、沈黙し続けることは今の与党の動きを追認すると受け止められるでしょう。    (文責:枝木美香)


 サライ氏は、カンボジア市民フォーラム等、カンボジアに関係がある諸団体の共催によるシンポジウム「カンボジアのいま」に登壇するために来日し、カンボジアの社会・政治状況についての情報を共有しただけでなく、日本政府やNGOにむかって公正な選挙が開かれるための協力を仰いだ。
 カンボジア政府が法律の新設などによって、野党やNGO活動の弾圧を行っていることを懸念し、EUや米国は総選挙の支援中止を決定したが、日本政府は支援の継続を表明している。